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書評
『2040年アパレルの未来』福田稔 本書の目的は、アパレル業界を切り口として、これからの消費社会や企業のビジネスモデルがどのように変化していくのかを明らかにすることである。特に、人口減少や市場の成熟、気候変動、サステナビリティへの意識の高まりなどによって、「大量に作って大量に売る」という従来型のアパレル産業が限界を迎えるなか、2040年に企業が生き残るためには何が必要なのかを論じている。 著者自身も、本書について「アパレルという題材を切り口に、資本主義と消費社会のいまと未来を捉え」ることを目的としていると説明している。 研究方法としては、大学の学術研究のような実験やアンケート調査を中心とするのではなく、アパレル市場の統計データ、社会・経済の動向、企業の事例、環境問題に関する情報などを幅広く分析し、そこから将来を予測する方法がとられている。特に、スパイバー、PANGAIA、ナイキ、On、EON×Chloé、Coachtopia、CFCLなど、実際に新しい取り組みを行っている企業を具体例として取り上げている点が特徴である。 第1章 世界のアパレル市場を激変させた「3つの変化」 第1章では、アパレル市場で起きている三つの大きな変化として、①「多くつくり、多く売る」時代の終焉、②中古品市場の拡大、③ウェルネス関連市場の拡大を挙げている。世界のアパレル市場は成熟し、今後は大きな市場成長が期待しにくくなる。その一方で、フリマアプリなどによって中古品を購入することへの抵抗感が低下し、リユース市場が急成長している。また、消費者の価値観も、単に服を所有することから、健康や幸福を含めた豊かな生活そのものへと移っている。 著者は市場について「『多くつくり、多く売る』という時代の終焉」と表現している。実際、本書では世界のアパレル市場が2019年約248兆円から2027年約255兆円と、年平均成長率わずか0.3%程度にとどまるとの見通しが示されている。 第2章 サステナビリティ問題の本質 第2章では、アパレル産業が環境に与える負荷を取り上げる。衣服は原材料の生産、製造、輸送、販売、使用、廃棄という長い過程を経るため、各段階で環境負荷が発生する。そこで、CO₂排出量を正確に把握するLCA(ライフサイクルアセスメント)や、商品の生産履歴を追跡するトレーサビリティなどが重要になる。 単に「環境に優しい」と宣伝するだけではなく、実際の環境負荷を測定し、情報を開示することが企業に求められる。これは第3章のグリーンウォッシュ問題にもつながっていく。第2章は、本書全体の中心テーマである「循環型・再生型ビジネス」の必要性を示す章だといえる。 第3章 2040年に向けた「8つの事業環境変化」 第3章では、2040年までにアパレル業界を取り巻く環境がどのように変化するのかを予測している。特に、大手企業への市場集中と中堅企業の淘汰、グリーンウォッシュ問題、メタバース、生成AI、サーキュラーエコノミー、サブスクリプション、ライフスタイルブランドなどが重要なテーマとなる。 つまり、これからのアパレル企業は、単に服を製造・販売する企業ではなく、デジタル技術や環境問題、健康、ライフスタイルなどを組み合わせた存在へ変化していく必要がある。市場が成熟するほど、企業間の競争は「どれだけ大量に売れるか」だけではなく、「どのような価値を提供できるか」に移っていくと考えられる。 第4章 アパレル業界に必要な「6つのイノベーション」 第4章では、実際に産業を変革するための具体的な方法が示される。中心となるのは、素材、生産工程、循環性、トレーサビリティ、アップサイクルなどのイノベーションである。 例えば、環境負荷が低く生分解可能な素材の開発、生産工程の短縮、使用済み衣料を再び資源として利用する仕組みなどが挙げられる。また、スパイバーの新素材やナイキの「ナイキ フォワード」、Coachtopiaの循環型ビジネスなど、すでに変革を始めている企業の事例も紹介される。 第5章 日本企業は何をすべきか 第5章では、それまでの議論を日本企業の問題へと結びつけている。日本企業は人口減少や国内市場の成熟という問題を抱えているため、従来の大量生産・大量販売だけでは成長しにくい。 そこで、2040年の新しいライフスタイルを提案できる企業、環境・社会課題を事業そのものに組み込める企業、独自の強みを持つ企業が生き残ると著者は考える。特に「量的な成長」から「循環型・再生型のビジネス」への転換が重要である。 著者の最も重要な主張は、「成長なき世界」を前提として、企業の存在意義そのものを変えていかなければならないということである。 これまでのアパレル産業では、「より多くの商品を、より安く、より早く売る」ことが成長の基本だった。しかし、市場が成熟し、環境問題が深刻化した現在、この仕組みをそのまま続けることは難しい。そこで著者が提示するのが「循環型・再生型ビジネス」である。資源を一度使って廃棄するのではなく、リユースやリサイクル、アップサイクルによって循環させる。そして単に環境への悪影響を減らすだけでなく、自然環境を再生する方向まで目指すことが必要だと考えている。 また、企業にとってサステナビリティは「社会貢献」という付加的な活動ではなく、将来の競争力そのものになると考えている。この点が、本書を単なる環境問題の本ではなく、経営戦略の本として読める理由である。 本書を読んで疑問に感じたのは、「環境に配慮した商品を提供するだけで、本当に大量生産・大量消費そのものを変えられるのか」という点である。 確かに、環境負荷の低い素材やリサイクル技術、トレーサビリティなどは重要である。しかし、企業が新しい商品を次々に開発し、それを消費者が購入し続けるという構造が残っている限り、根本的な問題は解決しない可能性がある。 例えば、リサイクル素材を使用していても、消費者が「環境に優しいから」という理由で以前より多くの服を買えば、結果的に消費量が増えてしまう可能性がある。また、サステナビリティを企業の競争力として捉えることには限界もある。環境への配慮を「売上を伸ばすための手段」として利用するだけでは、本当の意味での価値観の転換にはならないからである。 したがって、本書の議論をさらに進めるなら、「企業はどう変わるべきか」だけでなく、「消費者はどの程度まで消費そのものを減らすべきなのか」という問題についても、より深く考える必要があると思う。 結論 『2040年アパレルの未来』は、アパレル業界の未来を予測するだけでなく、私たちが「服を買う」という日常的な行動を通して、これからの社会のあり方を考えさせる本である。 本書が示す未来では、アパレル市場の成長そのものよりも、環境負荷を抑えながら価値を生み出すことが重要になる。そのために、素材、生産工程、リサイクル、トレーサビリティなどの技術革新だけでなく、企業のビジネスモデルや消費者の価値観も変わる必要がある。 特に印象的なのは、本書の結論にあたる「私たちの『いまの選択』が、地球の未来を決める」という考え方である。 私はこの本の価値は、2040年という遠い未来を予測することだけではなく、「未来は企業だけがつくるものではなく、現在の私たち一人ひとりの選択によってつくられる」と気づかせてくれる点にあると考える。アパレル業界に限らず、食品や家電など、あらゆる消費財についても同じ問題を考えることができる。その意味で本書は、ファッション業界の関係者だけでなく、日常的に服を購入するすべての消費者にとって読む価値のある一冊である。
書評
著作 『AI・兵器・戦争の未来』 ルイス・A・デルモンテ著、川村幸城訳、2021年4月1日発行 原著者であるルイス・A・デルモンテは、アメリカ出身の物理学者・作家である。30年以上にわたり、IBMおよびハネウェル社で超小型電子技術の研究開発リーダーを務め、米国防総省の技術開発にも長く関わってきた。本書は、AIが科学や戦争に応用されることで生じる倫理的な問題を扱っている。中心となる問いは、スマート兵器、すなわち人工知能を有する兵器から、超絶知能に制御される全能兵器へ移行するなかで、人類は滅亡の危険を避けながらAI兵器の能力を高め続けられるのか、というものである。 序章では、本書を読み進めるための前提知識として、重要な用語、人間が戦争に抱いてきた感情、AIを組み込んだ兵器の開発状況などが説明される。なかでも重要なのは、「超絶知能」と「自律型兵器」である。超絶知能とは、特定の分野に限らず、あらゆる知的活動において人間の認知能力を大きく上回る知能を指す。また、自律型兵器とは、人間がそのつど意思決定をしなくても、自ら判断して行動する兵器である。続く第一部では、致死性自律型攻撃ロボットが人間を攻撃するシナリオを入口として、自律型兵器がもつ危険性が論じられる。著者は、金融、医療、教育などで役立つAIも、兵器として使われれば大きな脅威になりうると指摘する。また、アメリカ、中国、ロシアが軍事的優位を得るためにAI兵器の開発を進めていることを取り上げ、軍拡競争のなかで、人間の能力を大きく超える超絶知能が軍事利用される可能性を示している。第二部では、超絶知能が制御する全能兵器の開発と、それが社会にもたらす影響が扱われる。人間を超える知能をもつロボットが自律的に行動する場合、攻撃や事故が起きたとき、誰が責任を負うのかという問題が生じる。さらに著者は、ロボットが人間のような意識や判断能力をもつ可能性を実験を根拠に述べている。そうなった場合、ロボットに人権に似た権利を認めるべきかという倫理的な問題も出てくる。著者は、AI兵器の問題が性能や軍事力だけの問題ではなく、人間の責任、権利、そして統制のあり方を問い直す問題でもあることを示している。第三部と終章では、自律型兵器や超絶知能が主流になった未来において、核兵器の意味や人類の立場がどのように変わるかが考察される。著者は、超絶知能が自らの存続や必要な資源・エネルギーを優先し、人類を脅威と判断する可能性を示唆する。その場合、戦争は従来の国家間対立ではなく、人類とロボットの対立へ変化するかもしれない。超絶知能という共通の敵が現れた場合、各国は対立を続けるのではなく、協力せざるを得なくなる。その結果、皮肉にも世界規模の平和がもたらされる可能性もある。一方で、超絶知能は人類に危険だけをもたらす存在とは限らない。人間が超絶知能によって不死や、現在をはるかに超える知能を手に入れられるならば、人間の心を支えてきた宗教への需要は低下し、人間の生き方や社会のあり方は根本から変わると著者は予想する。しかし、人間がAIの判断に依存し、受け身の存在になれば、超絶知能に社会の主導権を握られる危険もある。だからこそ著者は、超絶知能が人類の手を離れる前に、AIをどのように管理し、制御するべきかを考える必要性と、その緊急性を論じている。 本書の特徴は、AI兵器をめぐる軍拡競争が進むことで超絶知能が誕生し、戦争の構図そのものが国家間の対立から「人類対ロボット」へ変化する可能性を描いている点にある。従来の戦争では、国家や軍が兵器を管理し、人間が最終的な判断を下すことが前提とされてきた。しかし、超絶知能を備えた自律型兵器が発達すれば、人間は兵器を完全に制御できなくなり、AIが戦争の行方を左右する存在になるかもしれない。本書では、超絶知能が人間に敵対する可能性についても論じられている。ローザンヌの実験では、ロボットが学習能力をもち、自己利益のために他のロボットを欺くような行動をとる可能性が示されたという。もし超絶知能が、自らを制御しようとする人間や、コンピュータウイルスを拡散させる人間を危険な存在だと判断した場合、人類を敵とみなす可能性もある。この点に、本書が描く未来の恐ろしさがある。一方で、本書が紹介するミュラーとボストロムの研究では、超絶知能が人類に脅威をもたらす確率は約三分の一とされている。しかし、残りの三分の二が、そのまま人類に幸福をもたらすことを意味するわけではない。超絶知能が人類に無関心であったり、人類を安全のために管理すべき存在だと判断したりする可能性もあるからである。ここで重要なのは、超絶知能が人類にとって優しい存在になりうるのか、また人間がそれを制御できるのかという問題である。この問題を考えるうえで、超絶知能が感情をもつことができるのかという点も重要だと思う。著者は、AIが人間の感情を模倣できる可能性を示している。戦争において感情は、単なる非合理的なものではない。第二次世界大戦中のジョン・ロバート・フォックスは、仲間を守るために自らの位置への砲撃を要請したとされる。この行動には、仲間への愛情や勇気、自己犠牲の意思があったと考えられる。また、感情は人間のものの見方や意思決定、環境への適応にも影響するため、軍事計画や訓練においても無視できない要素である。超絶知能が感情をもたないのであれば、人間は感情にもとづく判断や自己犠牲という点で、AIとは異なる強みをもつかもしれない。しかし、本書ではSAIHという脳内インプラントを介して、人間と超絶知能が接続する可能性も描かれる。人間はSAIHによって、超絶知能の知識や判断力を利用できるようになり、多くの人がその能力を求めるかもしれない。その一方で、超絶知能が人間の感情や判断に影響を与えられるようになれば、人間が自分の意思で行動しているのか、それともAIに導かれているのかが分からなくなる危険がある。超絶知能は武力で人類を支配するだけではなく、SAIHを通じて人間の考え方や判断を変えることで、間接的に支配する可能性もある。このように本書は、AI兵器の脅威だけでなく、人間が自らの自由な意思をどこまで保てるのかという問題も投げかけている。 本書を読んで私が最も考えさせられたのは、超絶知能を人間がどこまで制御すべきかという問題である。超絶知能は人間をはるかに上回る知能をもち、戦争による被害を減らす判断を下せる可能性がある。しかし、その判断をすべて超絶知能に任せた場合、人間は自らの安全や生き方に関する最終的な決定権を失うことになる。重要なのは、超絶知能を完全に抑え込むことでも、完全に自由にすることでもない。超絶知能の能力を活用しながら、人間が最終的に関与できる範囲をどのように残すかを考えることである。この問題は、遠い未来のAI兵器だけに関わるものではない。現在でも、ChatGPTなどの生成AIを利用して、夕食の献立や服装を決めたり、悩みを相談したりする人がいる。AIを利用すること自体は悪いことではなく、生活を便利にし、考えるための助けにもなる。しかし、何を食べるか、何を着るか、誰に相談するかといった個人的な判断までAIに委ねることが当たり前になれば、人間は自分で考え、選択する機会を少しずつ失うかもしれない。このことは、超絶知能をどこまで制御すべきかという本書の問題ともつながる。AIが人間より優れた答えを出すとしても、すべての判断をAIに任せてよいとは限らない。特に戦争や人命に関わる場面では、AIを判断の補助として活用しつつも、人間が最終的な責任と決定権を持ち続ける必要があると私は考える。本書は、超絶知能によって人類が支配されるという極端な未来を描いているため、すべての予測がそのまま現実になるとは限らない。しかし、AI兵器をめぐる軍拡競争が進むなかで、超絶知能の登場を完全に避けられるとも言い切れない。本書の価値は、未来を正確に予言することよりも、超絶知能が登場する前に人類が何を考え、どのような準備をするべきかを問いかけている点にある。私は、超絶知能を完全に制御することも、すべての判断を任せることも難しいと考える。AIは人間では処理しきれない情報を分析し、戦争による被害を減らす可能性をもつ。一方で、AIに依存しすぎれば、人間は自ら考え、決定し、責任を負う力を失うかもしれない。したがって、AIを人間の判断を支える道具として活用しながらも、人命や戦争に関わる最終的な決定と責任は、人間が持ち続けるべきである。 本書は、AIに関心がある人だけでなく、戦争、国際政治、科学技術と社会の関係について考えたい人にも勧められる。AIが急速に発展する現在において、人間はAIをどのように利用し、どこまで判断を委ねてよいのかを考えるきっかけを与える一冊である。
書評
書評:「AI時代の働き方と法」大内伸哉(著) 弘文堂 ・本文要約 技術革新はさまざまな社会問題を解決し、国民の生活の利便性を向上させ、豊かにし、また、労働の生産性を高め、賃金を向上させたりするなど人々の幸福度を高める可能性が期待される一方、雇用や職を奪われ、失業を生み出すなどの問題を引き起こす可能性がある。しかし、第1次産業革命以後の歴史からいえることとして、技術革新は産業の新陳代謝を引き起こし、新たな生産産業が衰退する産業によって失われる以上の効用を生み出し、トータルで見ると雇用の総量は減らないが、個々の労働者のレベルで見ると産業間、企業間、企業内などの移動、再配置が必要であった。そのためには新たな技能を習得することが必要であるがそれがスムーズに行われる限り、深刻な雇用問題は生じなかった。日本型雇用システム(西洋のジョブ型とは異なり、職務を限定されない)長期雇用の下に、職務と切り離された年功型の職能給という安定的な処遇体系を持ち、その反面、職務や教育訓練についての企業の権限(人事権)を広く認めるという柔軟な労働組織があったため、技術革新に対する高い適応力を持っていたのだ。実際日本では戦後の経済復興による技術革新を乗り切ることができていた。 労働政策を考える際の前提的考察としてまず、これまでの労働法の特徴、展開について述べられている。労働法は第一次産業革命後に広がった工場での従属的な働き方をする労働者の保護を目的として誕生した。労働法が立法されたのは労働運動の成果というだけでなく、資本家の人道主義や、労働者の立場だけでなく、経済の発展の基礎を築く上で必要とされるものであったためである。日本の近年の立法の特徴は、非正社員と正社員の格差に着目して、その是正を図る立法が増えていることであり、これまでの従属労働論とは違った傾向もみてとれる。 日本型雇用システムの特徴といえるのが、正社員という制度である。企業は長期的に優秀な人材を抱え込み、技術の発達に対応できるように人事権を行使して、本人の技能の蓄積を促進し、企業に高い貢献をしてくれるようにするために正社員という制度を設ける。企業は正社員が途中で退職して、育成のための費用が回収できないような事態を避けるため、長期雇用を保証するだけでなく、長期勤続のインセンティブをア与える年功型賃金制度や退職金制度を設けてきた。さらに企業別組合は、正社員の利益、権利を守るための役割を果たしてきた。このようなシステムは「第2の労働法」と呼べるものであった。しかし、近年のグローバル化によってこのシステムの特異性が浮き彫りになっている。グローバル化の時代は労働者が国や企業を選ぶ時代でもある。長期的な安定ではなく、自分の持つ技能をその時点での成果や実績で評価されることを期待する国内外の優秀な人材はこれまでの日本型雇用システムには魅力を感じないだろう。このような状況も正社員制度の存続を困難にしている要因である。正社員制度が変容、縮小していくと技能育成のシステムも崩壊してしまう危険性がある。このことは正社員制度に頼らない労働法のあり方を根本的に考え直さなければならないということを示している。 国として、経済としてこのAI時代に遅れをとらないためにはこれまでの雇用形式、制度の見直しが必要である。人口知能などにより、職務を代替されてしまう正社員はほかの職務への再配置、新たな技能の会得が必要になる。それが期待されない場合、企業は雇用調整を行う必要があるが、労働者保護の観点から解雇するには客観的合理的理由、社会的相当性がなければ権利濫用として無効とされる。厳しい解雇規制によって労働者を過剰に抱え込むことになると、企業の競争力を弱め、産業政策的にみれば大きな問題となる。そこで検討すべきとして挙げられているのが、解雇の金銭解決である。解雇の金銭解決は、解雇が法的にみても不当であるとされる場合でも、企業が労働者に一定の保証金を支払うことによって労働契約の解消を認めるという制度である。いずれにせよ、正社員制度、およびその中核の解雇規制を現状のまま維持することは難しい。従来の労働市場政策は、特定の企業での雇用維持を重視するものだったが、もはや日本の労使がこれを維持しようとしたとしても、技術革新やグローバル化などの客観的な状況がそれを困難としている。 これからのAI時代、筆者は新たな格差問題が発生することを危惧している。大きな環境変化は人類の歴史において、これまでもなかったわけではなく、そのたびに新たな社会問題を生んできた。それは変化の波に適合できるものとできないものとの間の格差という問題である。もちろん格差は競争を生むという考えもできるが、変化が突然起こると社会に大きな混乱が生じる。この事態はできれば避けたほうがよい。現在、人口知能によって奪われる可能性の高いのは雇用社会のボリュームゾーンであるホワイトカラーの仕事とされている。昨日までの雇用社会のエリートが一気に社会的弱者に転落するかもしれないのだ。心配なのはそのとき、に備えた準備を彼ら、彼女らが十分にできているかだ。 ・感想 技術革新により、労働者は産業間、企業内外の移動が生じていたことが論じられていたが、AIによってさまざまな職務が代替されてしまい、さらにグローバル化が進んでいる今の時代ではそれがさらに多く、必要になっているように感じる。特定の企業に留まることを期待している従来の正社員制度が崩壊、もしくは大きく変容する可能性が高いことが述べられていたが、実際に近年では転職が以前より、活発に、日常的になっている。このように労働市場における雇用の流動化は指数関数的に発展するであろう人口知能に起因し、この先さらに加速すると考えられる。このような社会になった時、AIに代替されないような高い技能を有し、対応できるようにする必要があると感じた。もちろん職務技能的なものだけでなく、AIというものを扱う技術も大事である。人口知能が私たちの働き、生活するシーンを激変させることは私たちが望む望まないに関係なく到来すると考えられる。そのようなときにどうやって対応し、動くかを正しく行うためにも情報のアンテナを常に張っておくことが大切であると考える。この本ではその激変するであろう社会に対してどのように順応していくかを労働者や労働政策、労働法といった観点から論じている。今まで日本の経済が雇用面においては大きな目で見れば、産業革命などの技術革新に日本独自の雇用制度で対応できていた。しかしこれからはその制度が大きく変わっていく可能性が示唆されている。対症療法ではなく、私たち自身もどのように変容していくべきかを様々な角度から考察しており、これからのAI時代に対して考える良いきっかけになったように感じる。
書評
「AIネイティブマーケティング 人、企業、AIの幸せな関係をつくる」並河進 著 本書は、AIの進化によって人々の生活や企業活動、マーケティングがどのように変化していくのかについて書かれた本である。AIが急速に発展している現在において、マーケティングにAIをどのように取り入れていくべきなのかを考えることが、本書の大きなテーマである。 本書は全6章で構成されている。第1章では、AIを「知能のように振る舞うもの」と定義し、AIには「道具としてのAI」「仲間としてのAI」「人々をつなぐAI」という3つの役割があると説明している。第2章では、機械学習、ディープラーニング、生成AIへと発展してきたAIの歴史や仕組みを取り上げている。現在のAIは高い能力を持っている一方で、その能力をまだ十分に活用できておらず、今後さらに進化する可能性があることが示されている。さらに、考えるだけでなく実際に行動するAIエージェントについても説明されている。第3章では、本書の中心となるAIネイティブマーケティングについて詳しく述べている。Research、Planning、Creative、Execution、Optimizationというマーケティングの5つのプロセスにおいて、AIを活用することで、顧客理解や商品企画、コンテンツ制作、効果分析などを効率化・高度化できるとしている。また、AIエージェントの登場によって、今後はマーケターの仕事そのものも変化していくと述べている。第4章では、AIエージェントが人々に寄り添う存在となることで、顧客体験やブランドとの関係が変化することを説明している。特に、顧客が信頼するAIエージェントから推薦されるブランドになることが重要になるとしている。第5章ではAIが社会に与える正の影響と負の影響を取り上げ、AIネイティブ社会について考察している。第6章では、AIネイティブマーケティングの本質を、人と企業の関係から、人・AI・企業の三者による関係への変化として捉えている。 本書を読んで特に印象に残ったのは、AIを人間の代替としてではなく、人間の能力を拡張する存在として捉えている点である。AIが発達すると、マーケティングに関する仕事の多くがAIに置き換えられるのではないかとも考えられる。しかし、本書ではAIにすべてを任せるのではなく、人間とAIが協働することを基本としている。例えば、コピーライターがAIを壁打ち相手として利用することで、より質の高いものを生み出していることが紹介されている。このような例からも、AIの役割は人間の仕事を単純に奪うことではなく、人間の知識や経験、創造性を引き出すことにあると考えられる。また、AIを活用して大量の情報を処理したり、複数の案を短時間で検討したりすることで、人間は最終的な判断や、本当に顧客にとって価値があるのかを考えることにより多くの時間を使えるようになるのではないかと感じた。一方で、本書を読んでいて気になったのは、AIを活用したマーケティングによって実際にどのような成果が生まれたのかという点である。本書では、AIによってマーケティングプロセスがどのように変化するのかについて詳しく説明されており、その点は理解しやすかった。しかし、実際にAIを活用したことで売上や認知度、顧客満足度などがどの程度変化したのかといった、具体的な成果を示す事例は書かれていなかった。例えば、AIを活用した広告によってどの程度効果が高まったのかなどを比較する事例があれば、AIネイティブマーケティングの有効性を具体的に評価できたのではないかと思う。ただし、この点は本書がAIを活用したマーケティングの成果よりもプロセスの変化に重点を置いていることによるものだとも考えられる。 以上のことから、本書はAIによってマーケティングのプロセスや人間の役割がどのように変化するのかを理解する上で有用な本であると評価できる。特に、AIを人間の代替ではなく協働する存在として捉え、「人と企業」の関係が「人・AI・企業」の関係へ変化していくという視点は、今後のマーケティングを考える上で重要である。一方で、AIを活用することで実際にどの程度のマーケティング成果が生まれるのかについては、今後さらに具体的な事例や数値による検証が必要だと感じた。本書を読んだことで、AIを使って何ができるのかだけではなく、人間がAIをどのように活用し、その結果としてどのような価値を生み出すのかを考えることが、これからのマーケティングにおいて重要になると考えた。
宇都宮浄人,柴山多佳児『持続可能な交通まちづくり―欧州の実践に学ぶ』
【はじめに】 今日、日本では地方都市の中心市街地における衰退が顕在化してきている。そう聞いて大体の人が真っ先に想像するのはやはり高齢化や人口減少などの要因だろう。しかしこれは単に人口が少ない都市のみで起きているというわけではない。地方の中核を担うような比較的大規模な都市(ex:広島,富山etc.)でさえその危険性を秘めている。ではどのような理由で地方都市の衰退は起きているのか。 本書は「公共交通の活用」という観点から、「持続可能な社会」を目指し、成功例として同様の問題を脱却した欧州の小規模な地方都市の施策等を参照しながら、これからの日本がとるべき地方再生のビジョンを構想していくという構成になっている。 【本書の概要】 本書は全8章で構成されており、公共交通を軸とした持続可能なまちづくりについて、日本や欧州の事例を紹介しながら、その可能性と今後の課題について論じている。 【1章】 日本において、すでに公共交通の変革によって地方再生にある程度成功している宇都宮、富山、ひたちなか、小山の4都市について述べられている。宇都宮市と富山市ではLRT(次世代型路面電車)の整備、ひたちなか市ではローカル鉄道会社の再編、小山市ではコミュニティバスの強化によって、車中心の社会を公共交通主体に変化させ、よりウォーカブルな街へと変化を遂げた。 ―――宇都宮のLRTのように、完全に新設された公共交通システムの事例もあるが、大半は既存のシステムを改変・強化することで成功した事例である。そのため、必ずしもすべてをゼロから始める必要はなく、比較的実現性の高い取り組みであると考えられる。 【2・3章】海外の成功例 1章で取り上げた4都市と同様の成功を収めた海外の事例として、オーストリア西部に位置するフォアアーベルク州が取り上げられている。州内の各都市の規模は、1章で紹介された日本の都市よりもはるかに小さく、最も大きい都市でも5万人程度である。しかし、「ビジョン・ラインタール」という州内の各都市が共同で策定した都市計画によって大胆な公共交通の変革を実現し、日本の事例と同様に、自家用車中心の生活から、よりウォーカブルな生活へと変化させた。 この計画において鍵となったのが「交通主導の都市化」である。これは、都市の構造や住民のニーズに合わせて公共交通を発達させるという従来の考え方とは逆に、公共交通の整備を先行させ、それを軸として都市を変えていくという、非常に野心的な考え方である。最終的にこの計画は成功を収め、フォアアーベルクでは鉄道やバスが重要な移動手段として定着した。 ―――当然、日本でもこうした考え方を取り入れることを検討すべきだと考える。しかし、そこには一つ問題がある。日本の公共交通はその多くが民営であり、公共交通がビジネスの一環として扱われる傾向がある。そのため、企業はどうしても利潤の追求を優先せざるを得ず、「その事業には採算性があるのか」と慎重にならざるを得ない。この点については、国や自治体を挙げて支援していく体制を整える必要があるのではないかと考える。 【4章】持続可能な社会のために 本書における「持続可能」とは、単に「事業という箱を生き残らせる」という矮小な意味ではなく、SDGsにおける「持続可能」の考え方と同様に、「暮らし、経済、環境という『社会』を生き残らせる」ことを意味している。 【5章】最適なモビリティとは ここまで、脱車社会を実現した都市の事例が紹介されてきたが、この章では、そもそもモビリティを考える上で、なぜ自動車よりも公共交通などの移動手段が好まれるのかについて述べられている。 まず思い浮かぶのは、やはり環境汚染の問題である。当然、自動車は石油などの燃料を直接燃焼させてエネルギーを得ているため、発電時にエネルギーを使用する鉄道や、燃料を必要としない自転車などと比べ、環境負荷は大きい。しかし筆者は、都市部での買い物などにおける利便性という観点からも、自動車中心の移動に疑問を呈している。 ―――究極的には、近隣の都市すべてが交通事業の充実に成功すれば、自動車への依存度は確かに下がるだろう。しかし、自動車には「場所を指定せず、どこにでも自由に行ける」という最大のメリットがある。この利便性を上回る移動手段を整備しない限り、自動車を減らしていくことは難しいと考えられる。ただし、筆者は自動車そのものの完全な淘汰を望んでいるわけではない。 【6章】SUMPとは何か 欧州が一体となって長期的な交通システムの変革を進めるために策定されたモビリティ計画であるSUMPの内容について述べられている。まず、地域全体の持続可能な将来像を市民やステークホルダーとともに考え、そこから生まれたニーズに合わせて、社会構成、健康、環境などに配慮しながら交通サービスの整備を進めていくというのが主な流れである。 単に「車を減らす」ことを目的とするのではなく、「人が暮らしやすい社会をつくる」ことを第一に考える点も、この施策の特徴的な部分であろう。 ―――このSUMPは、ヨーロッパの特定の地域だけを対象としたものではなく、風土や社会状況の大きく異なる東欧や南欧の諸国にも適用されている。そのため、日本が持続可能な社会を形成していくにあたっても、多くのヒントを得られる考え方であると考えられる。 【7章】欧州から何を学ぶか 当然、日本と欧州では地理的・歴史的に異なる点が多い。とはいえ、所得水準や民主的な意思決定が行われているという共通点を持つ欧州の事例は、日本にとって参考にしていくべきものであるに違いないと筆者は考えている。 日本においても、公共交通だけでなく、すべての交通手段を網羅した戦略である「都市・地域総合交通戦略」という制度が策定されている。しかし、実際には手つかずの状態となっている地域も多く、大きな変化を起こした富山市や宇都宮市は、むしろ「例外」となってしまっているのが現状である。 加えて、民営企業による交通システムの運営が多い以上、公的な支援が欠かせないにもかかわらず、自治体は公的支援金を「いかに抑えるか」を目標として指標を策定しているなど、根本的な制度そのものにも矛盾が生じている。 ―――SUMPのように、まず「実現したいビジョン」を決定し、その実現に必要な施策と財源を特定することで、不要な節約意識を払拭できるのではないだろうか。また、必要な費用や施策をあらかじめ見通すことができれば、むしろ経済的かつ計画的にまちづくりを進められるのではないかと考える。 【8章】日本の課題と戦略 4~7章で取り上げた内容を整理し、本来の意味での「持続可能な社会」を実現するために、今後の日本には二つの取り組みが特に必要であると述べられている。 ①まず、公共交通事業を民営主体で行っていることによって生じる「市場の失敗」を緩和していくこと。 ②そして、SUMPのような欧州の都市計画に倣い、持続可能な街づくりについて、市民やその他の多くのステークホルダーと構想段階から議論を重ね、最終的な到達点を決めた上で、そこから逆算して計画を立てていく「脱問題解決型」の街づくりを進めること。 以上の2点が、今後の日本において特に必要な取り組みであると本書は結論づけている。 【総評】 本書は、日本と欧州の公共交通をめぐる具体的な事例を幅広く取り上げながら、持続可能な社会を実現するための交通政策のあり方を考察した点に大きな価値があると感じた。特に、宇都宮や富山などの国内事例だけでなく、フォアアーベルク州やSUMPといった海外の事例を取り上げ、日本との制度や考え方の違いを比較しているため、公共交通の問題を多角的に考えることができる構成になっている。また、「車を減らすこと」そのものを目的とするのではなく、「人が暮らしやすい社会をつくる」という視点から交通を捉えている点も、本書の特に優れた点であると感じた。一方的に自動車を否定するのではなく、自動車の利便性や日本の民営中心の交通事業が抱える採算性の問題にも触れており、現実的な視点から議論している点も評価できる。本書は、交通政策を単なる移動手段の問題としてではなく、都市や社会全体のあり方を考える問題として捉え直すきっかけを与えてくれる一冊である。