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タートルグラフィック

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書評「AIが人間を殺す日」

飛躍的な進化を告げる人口知能・AI。この後明るい未来が語られる一方でAIに仕事を奪われるといった脅威論も増えている。本書では車、医療、兵器の三つを挙げAIの真の脅威を見つけつつ、それとの付き合い方を述べている。 第一章「AI脅威論の虚実」 この章ではAI脅威論として「進化したAIやロボットに雇用を奪われる」という見方を挙げている。しかしこの考えはAIがビックデータの中からある種の規則性を見出す技術である「パターン認識」といったごく一部に限られるものであると説明している。それ以外の職種はむしろお互いに足りない能力を補うような形で役割分担がなされていくと結論付け、問題は「制御に人間が関与しないこと」であり、それこそが「真の脅威」であると説明している。 第二章「自動運転の死角」 この章では実際に死亡事故を引き起こした自動運転機能搭載の自動車を例に挙げ、現場検証を踏まえAIの判断ミスの危険性を説明している。主要先進国にとって自動車は基幹産業であり自動運転技術が成功すれば産業的インパクトは大きく、多くの経済効果が期待されるが機械への信頼は未だ薄い。現在では「ディープラーニング」と呼ばれる機械が自ら学ぶ機械学習が開発されており、半自動運転下での人と車の関係の再認識が必要になると述べている。 第三章「ロボ・ドクターの誤診」 この章では我々人間の健康と命を左右する医療界にAIが進出しようとしていることの危険性を説明している。AIは人間と違い高速プロセッサと大容量記憶装置を持つため、医師のわからない病名や治療法などを導き出せるという。だが、現在でも「医師のアシスタント」として位置付けられている。これにはAIの判断が誤診であった場合の責任追及問題、ディープラーニングによる診断で合意的理由が不明、といった課題があると説明している。 第四章「自立的兵器の照準」 この章では戦争の際に使用される無人ステルス機や自動照準など「命を奪う」ための活動にもAIが導入されてきていることを問題視し、現状を危険視している。これまでの兵器は歴史上主に破壊力、攻撃範囲を拡大などに重視してきたが現在開発させているAI兵器では敵を定め攻撃するか否かの能力を備えているという。人に使われる道具から人に代わる戦闘主体へと変化した兵器だが我々一般市民も相応の責任感が必要になると述べている。   本書ではAIの現状を三つの視点から述べ危険性や課題を三つの視点から見ることができた。一般的にもっとも可能性があるのは完全な自動運転であるが実現は当年先となりそうだ。現在はこの未完成なAIにどこまで身を預けられるかといった付き合い方が重要であると改めて感じさせられた。 「AIが人間を殺す日 車、医療、兵器に組み込まれる人工知能」 小林雅一/集英社新書

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卒論 取引の歴史

・物々交換から「お金」の出現 決済には3000年を超える歴史があると言われている。ここでは決済がどのような変化を遂げてきたのかを述べていきたい。そもそも人と人との取引は物々交換から始まった。しかし自分が欲しいものと相手が欲しいものが一致する確率は低く、利便性を考え物々交換の代わりに貨幣で取引をするようになった。貨幣の機能には(1)支払い、(2)価値の尺度、(3)蓄蔵、(4)交換手段があり、どれか一つに用いられれば貨幣とみなせる。貨幣の形は貝殻などを使用したトークンから、金銀などの金属に変わり、現在でも使用される硬貨、紙幣になった。 ・元祖キャッシュレス 小切手・クレジットカード しかし、金額が大きな取引など、重要な場面においては貨幣だけでやり取りをするのは様々な懸念、限界がある。そこでまずは契約書が生まれた。その後、小切手やトラベラーズチェックの登場があり、1950年代アメリカでは消費ブームが起こっていた。その頃は多くの信販会社が生まれ、消費者は月賦でものを買い、カードを持ち、毎月送られてくる何枚もの請求書が存在していた。そのような状況の中で、何に対してでもどこでも使える汎用クレジットカードが登場した。 ・取引の電子化 1996年にソニーによって開発された非接触ICカード技術「Felica」は、2001年にJR東日本のIC乗車券「Suica」へ採用されたのをはじめとして、各地の交通機関で乗車券として採用され、その結果、多くの人が非接触ICカードを携帯するようになった。また、2002年以降、大手コンビニエンスストア等で「Felica」をベースとした電子マネー「Edy」の決済システム導入が進み、非接触ICカードによる決済に対応した店舗の数が大幅に増加した。これらの要因により、2000年代後半以降、非接触ICカード型の電子マネーの利用が広がった。日本銀行の推計によれば、IC型電子マネーは決済件数、決済金額ともに成長を続け、2008年には決済件数で10億5,300万件、決済金額7,581億円だったのが、2014年には決済件数で40億4,000万件、決済金額で4兆140億円に達している。 ・QRコード決済の登場 また、近年はQRコード決済が世界中で普及してきている。QRコードの技術自体は、1994年にデンソーウェーブが開発したものだが、それが時を経て世界中の半数以上の人がスマホを持つようになり、多くの人がスマホでQRコード決済ができるようになった。特に中国では、アリペイやウィーチャットペイなどのQRコード決済が幅広く普及し、屋台で店側がQRコードを表示して、ユーザーはキャッシュレスで商品を購入できるレベルにまでなっている。 以上のように取引が時代とともに変化している。取引の変化の観点を整理すると、特に「より簡易に」、「より早く、速く」、「より多数から多数へ」の3つが急激に進み、世界中で取引の「最適化」が行われている。 https://note.mu/tak1/n/nb943f5d966c2 http://www.soumu.go.jp/johotsusintokei/whitepaper/ja/h27/html/nc121150.html

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書評 通貨の日本史

本書では、日本で使用されてきた通貨・貨幣の用途、種類、政策の変遷について、以下の4章から構成されている。 第1章「銭の登場」では通貨・貨幣の定義の話から始まり、古代〜中世の日本で通貨として使われたものの紹介そして外国銭の輸入について述べられている。 第2章「三貨制度形成」では、戦国〜江戸前期にかけて金貨・銀貨・銭の三貨を政府が法で定義したことや、支配者が頻繁に変わるこの時代だが通貨政策は部分的に引き継がれることが多く少しずつ改革を加えながらバラバラだった通貨の交換基準を統一していく過程が説明されている。 第3章「江戸の財政再建と通貨政策」では、江戸中期〜後期に起こった通貨のデフレとそれに悪戦苦闘する改革政治家らの政策が述べられている。 第4章「円の時代へ」では、幕末維新〜現代にまで使用されている「円」の登場や外国との通貨取引による金の流出とそれを食い止めようする政府のしたたかな通貨交渉、そして世界大戦中の通貨ついて述べられている。 筆者は、モノそのものに実用性がなく通貨以外に使えないという点で電子マネーや仮想通貨はかつての金・銀と似ていると記述している。また、通貨は最初から政府が独占して発行していたわけではなく、1899年に紙幣が日本銀行券に統一されるまでは民間の模造銭が大量に出回っていたり、外国の通貨を輸入したものを国産の通貨と併用していたりしていた。そのため電子マネーや仮想通貨は、技術面では新しくなったが民間が独自に通貨を開発することは歴史上しばしばあったので、決して通貨史上の革新というわけではないと指摘している。そして、将来また新たなスタイルの通貨が登場するかもしれないし、歴史を知ることは「現在の通貨が唯一正しい」という思い込みから私たちを解放してくれると締めくくっている。 私が本書を選んだのは、電子マネーなどの現代の通貨だけではなく古代から現代までの日本の通貨の歩みについて知りかったからだ。電子マネーや仮想通貨は革新的なものであると考えていたが、本書を読み、歴史の積み重ねの結果であることを知ることができた。また、歴史を通して政府の通貨政策は基本的には似通ったものであったことも興味深かった。本書は、電子マネーに対する考え方を改めることができ、卒業論文に向け準備をしていく中で非常に刺激を与えてくれた一冊であった。

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ビッグデータと人工知能 p32〜47 要約

-全件処理は万能か- 3Vつまり、量の大きさ(Volume)、多様なこと(Variety)、生成速度のはやさ(Velocity)がビッグデータの特徴である。だが、そういう扱いづらいデータを一体どのように処理、分析するのか?いま注目されているビッグデータ分析処理は、従来のやり方とは異なる特徴がある。主な特徴としては次の三点があげられる。 一つ目の特徴は、「全件処理」である。従来はたくさんのデータから限られた少数のサンプルを抜き取りそれらを分析してデータ全体の傾向を推し量るという方法が取られてきた。ところが、ビッグデータはこういったアプローチに反旗をひるがえす。サンプルではなくともかく全件のデータを調べようというのだ。 ここで第二の特徴である「質より量」があらわれる。例えば、世論の動向を調べるときに従来ならアンケート項目を用意し無作為抽出した人に対して尋ねるといった方法が取られたが、ビッグデータでは大量のツイッター発言を丸ごと分析し、集団的なおよその特性を探りだそうとするのである。ここでは、データの質が多少悪くても大量処理によって正確性が増すという強い信念がある。とはいえ、データの質が悪くてもともかく量をこなせば正確な分析ができるというのは少々乱暴すぎる。だからビッグデータの全件処理と言っても厳密にはただサンプル数が増加しただけではないかという冷めた議論があらわれる。 第三の特徴は「因果から相関」である。ビッグデータの分析の魅力は常識を超えた相関関係を発見することで有効な行動をとれるということである。例えば、「咳止め」や「解熱剤」と言ったキーワードによるウェブ検索頻度を調べるとどんな地域でインフルエンザが流行っているのか特定できる。グーグル社では実際にこのデータの相関関係分析しインフルエンザの流行を分析した。しかし、相関関係だけわかればよく、結果がわかれば理由はいらないというキャッチフレーズには違和感を覚える。 -インダクションとアブダクション- 演繹(デダクション)と帰納(インダクション)の他に、「仮説推量(アブダクション)がある。仮説推量は一般ルールと個別事実とから個別条件を導くものである。「人間は死ぬ」「ソクラテスは死ぬ」から「ソクラテスは人間だ」と推量するわけだが、死んだのはソクラテスという名前の犬であるのかもしれないため、仮説推量は必ずしも成り立つとは言えない。このように自然現象にせよ社会現象にせよ我々の周囲で起こる物事を推測して対処しても外れることは少なくない。だがそういう中で諸条件を検討考慮し、なんとか適切な対処をするために人間が作り上げてきたのが因果関係モデルであるのではないか。ただし、3Vの特徴を持つビッグデータにおいてはのんびり時間をかけて因果関係を検討している余裕はない。近頃話題を集めている「人工知能」を用いれば、ビッグデータに関する諸問題は解決されるのだろうか?

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外食に関する消費者意識と 飲食店の経営実態調査

これは、膨大な資料です。使うか使わないかは別として参考までに。 https://www.jfc.go.jp/n/findings/pdf/seikatsu25_1218a.pdf

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ハンバーガーチェーンの比較経済分析

http://www.t.daito.ac.jp/~t037785/zemi_12ki/burger.htm

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マクドナルドのダブルバーガーはなぜ高い

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151110-00000017-asahi-bus_all 面白い記事でした。

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輪読 3章 まとめ

 長年、厳しい天候への対策には18世紀中ごろまで、主に二つのやり方が試みられてきた。 1儀式的方法   古代ギリシャにおいて。動物や人間の生贄   教会の鐘による祈祷   8世紀フランスにおいて。身を守るおまじないの言葉で埋まった御札をぶら下げた柱を立てる。  中央ヨーロッパにおいて。嵐が来る前に麦わらや粗朶を燃やす。   2軍事的方法   17世紀ごろ。たいていの船乗りは、大砲の音で雷雨を追い払えると信じていた。   1769年フランス、嵐と戦うための、砲台を設置   オーストリア・イタリアなどが国を挙げて嵐への砲撃を実施。   しかし、1907年クリーヴランド・アッベは上記の慣行の終焉を報じた。   レインフェイカーの登場 1891年 カンザス・ネブラスカ州における旱魃のため、数々の異名を持つ自称レインメイカー、フランク・メルバーンと500ドルで契約を結ぶ。→しかし何も起きなかった。   1902年~ チャールズ・マロリー・ハットフィールドが旱魃に苦しむ地域などと契約、多額の収益を得た。←ローリスク・ハイリターンの仕事であった。   1930年代~ アーヴィング・P・クリックが、天気を操作するビジネスで名声を得た。   レインフェイカーへの追及   2003年 気象予報士のリチャード・バーラーは、自治体に雨を降らせることを約束した会社に対して、そのような天気操作ができることを証明したことが一度もないことを説明し契約を無効にさせた。←上記の人たちがレインフェーカーであることが決定的になった。

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(法政大学)になぜ入ろうと思ったか

 私が法政大学に就社したい理由は二つあります。一つ目は、法政大学の六大学野球などスポーツで盛り上がれることや、全国から来た様々な人に出会え、いろいろな価値観に触れあえる点が大好きだということ。二つ目は、学生時代に授業、ゼミ、その他課外活動などで培った、幅広い知識や経験が、この総合大学の法政大学において、人気向上や、学内環境向上などで生かせると思ったことです。

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