第3章 韓国財閥の多様性と日本との共通構造
3-1 主要財閥の成り立ちと成長戦略
韓国の財閥は、多角化によって巨大企業集団へ成長した点で共通するが、その出発点と事業拡大の方法は一様ではない。代表的な例として、サムスン、現代、SK、ロッテ、韓進の発展過程を比較する。
サムスンは1938年、李秉喆(イ・ビョンチョル)が設立した貿易商を起源とする。当初は食品などを扱っていたが、1950年代には繊維業へ進出し、1969年には電子事業を本格化させた。その後、半導体分野への投資を拡大し、従来の軽工業中心の企業から高度な技術を必要とする製造業を中核とした企業集団へ転換した。特に電子・半導体分野では、設備投資や人材育成を継続することで、国際市場での競争力を高めてきた。
現代は、鄭周永(チョン・ジュヨン)が1947年に始めた建設事業を基盤に発展した。1960年代以降、経済開発に伴う道路や港湾などのインフラ整備を担い、京釜高速道路の建設にも参加した。さらに中東地域で大型工事を受注し、海外事業を拡大した。また、1967年に自動車事業を立ち上げ、造船分野にも進出するなど、建設で蓄積した技術や事業経験を新産業へと展開した。その成長には、政府の開発政策と創業者の積極的な投資判断が重なっていた。
なお、現代はその後の事業再編で複数の企業グループに分かれたため、ここでは分離前の現代財閥の形成過程を対象としている。
一方、SKは1953年に設立された繊維企業を基盤とし、異なる方法で規模を拡大した。1980年に旧国営の大韓石油公社を取得してエネルギー分野へ進出し、原料調達から繊維製造までの事業の一体化を進めた。さらに1994年には韓国移動通信の株式を取得し、通信事業を新たな成長の柱とした。これは既存企業の買収を通じた事業転換の事例である。
なお、現代はその後の事業再編で複数の企業グループに分かれたため、ここでは分離前の現代財閥の形成過程を対象としている。
ロッテは、辛格浩(シン・ギョクホ、日本名:重光武雄)が1948年に日本で創業した菓子メーカーを起源とする。他の韓国財閥とは異なり、日本で事業基盤を築いた後、1967年に韓国でロッテ製菓を設立し、韓国市場への本格的な進出を果たした。韓国の経済成長と国民の所得水準の向上を背景に、食品産業を中心として事業を拡大し、1970年代にはホテル、百貨店、建設、石油化学など幅広い分野へ進出した。特に1979年にはロッテホテルと百貨店が開業し、食品製造業から流通・観光産業を含む総合企業集団へと成長した。ロッテの特徴は、韓国国内の消費市場の成長を捉え、食品・小売・サービス業を中心に多角化を進めた点にある。
韓進は、趙重勲(チョ・ジュンフン)が1945年に設立した運送会社を起源とする。当初は陸上輸送を中心としていたが、朝鮮戦争後には米軍関連の輸送業務を通じて事業基盤を拡大した。その後、ベトナム戦争に伴う物資輸送などを経験し、国際物流の分野へ進出した。1969年には経営不振に陥っていた国営の大韓航空公社を買収し、航空事業に参入した。さらに1977年には韓進海運を設立し、陸上・航空・海上輸送を組み合わせた総合物流企業集団として成長した。ただし、韓進海運はその後経営難に陥り、2017年に破産している。韓進の発展は、政府による国営企業の民営化や国際的な輸送需要の拡大を事業成長の機会として活用した点に特徴がある。
以上のように、サムスンは技術集約型産業への投資、現代は建設を起点とする事業展開、SKは買収を通じた産業転換、ロッテは消費市場の拡大を背景とした事業の多角化、韓進は輸送・物流分野への事業集中に特徴がある。このように各財閥の成長戦略には違いが見られるものの、いずれも韓国の経済発展や産業構造の変化を事業拡大の機会として捉えてきた点で共通している。また、政府の産業政策や国営企業の民営化など、国家の政策が一部の財閥の成長に重要な役割を果たした点も見逃せない。したがって、韓国財閥の発展は、各企業の経営戦略だけでなく、国家の経済政策や社会経済環境との関係から理解する必要がある。
3-2 日本の旧財閥との社風・統治構造の比較
韓国財閥の特徴を理解するには、企業ごとの経営文化に加え、日本の旧財閥との統治構造の違いを検討する必要がある。財閥という名称は共通するものの、両国の企業集団が現在も同じ仕組みで運営されているわけではない。
サムスンは、創業以来「人材第一」を重視する経営理念で知られ、優秀な人材の採用や育成、合理的な組織管理を重視してきた。一方、グループ全体の重要な投資判断には創業家を中心とする経営上層部の影響力が大きく、体系的な管理と集中的な意思決定が併存している。
現代では、創業者の鄭周永(チョン・ジュヨン)が困難な事業にも果敢に挑む姿勢を示し、「やればできる」という実行重視の文化が形成され、SKは崔氏一族が経営に関与する一方、1979年に独自の経営体系であるSKMSを導入し、グループに共通する理念や意思決定の基準を制度化した。
ロッテは、創業者の辛格浩(シン・ギョクホ)による強いリーダーシップのもと、迅速な意思決定と徹底した市場調査を重視する経営文化を形成してきた。特に消費者の需要や市場の変化を捉え、食品・流通・観光などの分野へ積極的に進出した点に特徴がある。一方、創業家による経営支配の影響力も強く、2015年には後継者をめぐる一族間の経営権争いが表面化した。この事例は、創業者主導の経営体制が持つ意思決定の迅速さと、事業承継に伴う課題の両面を示している。
韓進は、創業者の趙重勲(チョ・ジュンフン)が掲げた「輸送報国」という経営理念を基盤としている。これは、輸送事業を通じて国家の経済発展に貢献するという考え方である。他の財閥が幅広い産業へ多角化を進めたのに対し、韓進は航空・海運・陸上輸送など、物流関連事業への集中を重視してきた。また、創業者は取引先との信頼関係や現場での経験を重視し、専門性を高める経営姿勢を示した。一方、経営権は趙氏一族を中心に継承され、同族による企業支配や暴力王子、ナッツ姫という一族の暴走などと言った韓国財閥に共通する特徴も持っている。
以上のように、韓国の主要財閥は創業家による経営支配という共通点を持ちながらも、人材育成、実行力、組織管理、市場対応、専門分野への集中など、それぞれ異なる経営文化を形成してきた。したがって、韓国財閥の企業文化を創業家支配という一つの要因だけで説明することは難しい。
これに対して日本の三井・三菱・住友には、それぞれ「人の三井」「組織の三菱」「結束の住友」という慣用的な表現がある。三井は個人の裁量や商人的な柔軟性、三菱は組織としての協調や規律、住友は「信用確実」を軸とした堅実な事業運営を重視してきたと説明される。ただし、これらは歴史的な傾向を表すものであり、現在の全系列企業の実態を一律に示すものではない。
社風の類似だけでは、経営権の所在や企業の意思決定を十分に説明できない。より重要なのは所有と支配の構造である。戦前の日本の財閥は創業家と持株会社を頂点とする垂直的な統治構造を持っていたが、戦後の財閥解体でこの体制は解消された。その後、旧財閥系企業は株式の相互保有や取引関係を通じた緩やかな企業集団を形成した。これに対し韓国では、創業家が系列会社を通じた出資によってグループ全体に影響力を及ぼす構造が維持されてきた。すなわち、企業文化には共通点が見られても、経営権の所在と意思決定の集中度には制度的な違いが存在する。
3-3 国家の庇護と同族支配
韓国財閥の発展は、個々の企業の経営能力だけでなく、国家の産業政策と深く結び付いていた。特に1961年に成立した朴正熙政権は、1962年から経済開発五カ年計画を推進し、輸出拡大と工業化を国家的な目標に据えた。政府は融資や外貨配分に強い影響力を持ち、輸出実績や重点産業への投資に応じて特定企業を支援した。1970年代には鉄鋼、造船、自動車、石油化学などの重化学工業を育成し、優遇融資や税制措置などを通じて大企業の設備投資を促した。その成果は一様ではなかった。こうした政策は短期間で生産能力を拡大する条件となったが、支援の集中は財閥への経済力集中も進めた。
政府と財閥の関係はお互い共依存しているものだと考える。政府は企業に輸出や投資の成果を求め、企業側も市場開拓と事業拡大を通じて政策目標を実現した。しかし、長期的な関係のなかでは、過剰投資や借入依存に加えて政治権力との不透明な取引が問題となった。象徴的な例が朴槿恵政権をめぐる贈賄事件である。サムスンの李在鎔は、同事件に関連する贈賄などについて2021年の差戻しで実刑判決を受けた。李在鎔は2022年に特別赦免を受けた。この事例は、国家と大企業の近さが企業統治上の問題につながり得ることを示している。
さらに、韓国財閥では創業家による経営支配が継続してきた。創業家の直接的な株式保有比率が低くても、系列企業間の出資や持株会社を介した支配により、広範な企業活動に影響を及ぼす場合がある。この仕組みは長期的な事業戦略の実行や大胆な投資を容易にする一方、支配株主と少数株主の利益対立、経営監督の機能不全を招く危険性を持つ。1997年のアジア通貨危機後には企業統治改革が進められたものの、創業家の影響力はなお重要な論点である。
以上から、韓国財閥の成長は国家と企業の協力によって促進された反面、政府への依存、経済力の集中、同族支配といった課題も残したと考えられる。