輪読 3章 まとめ

 長年、厳しい天候への対策には18世紀中ごろまで、主に二つのやり方が試みられてきた。

1儀式的方法

  古代ギリシャにおいて。動物や人間の生贄

  教会の鐘による祈祷 

 8世紀フランスにおいて。身を守るおまじないの言葉で埋まった御札をぶら下げた柱を立てる。

 中央ヨーロッパにおいて。嵐が来る前に麦わらや粗朶を燃やす。

 

2軍事的方法

  17世紀ごろ。たいていの船乗りは、大砲の音で雷雨を追い払えると信じていた。

  1769年フランス、嵐と戦うための、砲台を設置

  オーストリア・イタリアなどが国を挙げて嵐への砲撃を実施。

  しかし、1907年クリーヴランド・アッベは上記の慣行の終焉を報じた。

 

レインフェイカーの登場

1891年 カンザス・ネブラスカ州における旱魃のため、数々の異名を持つ自称レインメイカー、フランク・メルバーンと500ドルで契約を結ぶ。→しかし何も起きなかった。

 

1902年~ チャールズ・マロリー・ハットフィールドが旱魃に苦しむ地域などと契約、多額の収益を得た。←ローリスク・ハイリターンの仕事であった。

 

1930年代~ アーヴィング・P・クリックが、天気を操作するビジネスで名声を得た。

 

レインフェイカーへの追及

 

2003年 気象予報士のリチャード・バーラーは、自治体に雨を降らせることを約束した会社に対して、そのような天気操作ができることを証明したことが一度もないことを説明し契約を無効にさせた。←上記の人たちがレインフェーカーであることが決定的になった。

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