広島駅周辺 地価上昇続く 2026/09/15 朝日新聞

県は15日、基準地価(7月1日時点)を公表した。県内の住宅地は3年連続で上昇し、商業地も5年連続、工業地も11年連続で上がった。なかでもJR広島駅周辺の再開発や駅ビルへの路面電車の乗り入れの効果で、広島駅周辺の地価の上昇が目立っている。
住宅地で最も上昇した地点は、広島駅から南に1キロに位置するエリアで、プラス7・1%だった。広島駅や大型商業施設が近いエリアで、閑静な土地柄が人気だったが、駅の再開発でさらに需要が高まった。商業地で最も上昇したのは5年連続で同じ地点、広島駅前の「WAKO広島駅前ビル」(南区京橋町1の3)でプラス15・9%だった。
その一方で「広島中心部は今後も上昇が続くが、郊外の古い住宅団地などは需要低下で下落しており、二極化が進んでいる」という見方もされている。

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ウクライナ戦争 光ファイバードローンを用いた待ち伏せ作戦

ウクライナ軍は、電波による通信や操縦の妨害を受けにくく、至近距離から鮮明な画像を送れる光ファイバードローンを利用し、ロシア軍の陣地を偵察したり、塹壕を詳しく調べている。また一部のドローンは死んだふりをし、意図的に待ち伏せ近づいてきた兵士を殺害するなどこれまで異なる方法でドローンを利用している。至近距離から突発に攻撃してくるため、身を守る時間はほとんどなく、多くの犠牲者が出ている。

2026/9/12Yahoo!ニュース

 

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ウクライナ 史上初ミサイルにAIを搭載

ウクライナは現在攻撃ミサイルにAIを搭載を試みている。これまで、ドローンや戦闘用ロボットにAIを幅広く組み込み、意思決定や、航法などの決定を担うようになっているが、ミサイルへの搭載はまだ新しい領域となっている。ミサイルへの搭載はドローンなどと違って高度な処理速度が求められるため、まだまだ研究の余地がある。完全自律型になると敵にハッキングされ自軍への被害も想定されるため、どこまでAIに任せるかが重要になってくる。

2026/9/16Yahoo!ニュース

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卒論 アウトライン

卒論の目的

韓国財閥の構造的課題と社会的問題点について、日本の旧財閥と比較しながら考察

第一章 日本の財閥解体について

第二章 韓国財閥の勃興について

第3章 韓国財閥の多様性と日本との共通構造
3-1 主要財閥の成り立ちと成長戦略(サムスン、現代、SKなど)

サムスンは貿易業(三星商会)からスタートし、紡績などの軽工業を経て、電子や半導体へとシフト。

現代 建設業からスタートし、政府の大型公共事業(高速道路建設など)や中東での建設ブームを足がかりに、自動車・造船などの産業に進出

SK 織物工場からスタートしたが、決定的な飛躍は政府からの国営企業払い下げ(1980年の大韓石油公社、1994年の韓国移動通信の買収)。
3-2 日本の旧財閥(三井・三菱・住友)の社風との対比
(例)サムスン 徹底したトップダウン管理。有能な人材を優遇し、「人材のサムスン」「管理のサムスン」と呼ばれる。

現代 創業者の強力なリーダーシップによる「やればできる」が社風。国家の高度成長を物理的に牽引した。

SK 他の財閥と比較して、最も血族主義が強い。その影響で社員が上のポストを諦めているからこその社内闘争が発生しにくい。

3-3
国家の庇護と同族支配
(例)
歴代大統領との癒着など

第4章 現代韓国社会における財閥の弊害
4-1ガバナンスの欠如と企業私物化
事例:ナッツリターン事件などの世襲経営の限界とモラルハザード
4-2 大統領との政経癒着
事例:崔順実(チェ スンシル)ゲート事件に見る、経営権継承のための違法行為と権力の結託
4-3. 格差社会から階層社会への変化
下請け会社への圧力や、若者の就職難(格差社会)など。

第5章:結論
5-1. 日本の財閥解体がもたらした一族支配からの脱却と経営の分離の意義の再評価

5-2. 結論:韓国財閥はグローバル競争力を維持する強力なエンジンであるが、ナッツリターン事件や崔順実ゲート事件が示すように、前近代的な「一族支配」と「政経癒着」は制度的限界を迎えている。

5-3 私個人の見解:企業分割という「解体」まではいかなくとも、韓国経済の健全化のためには、日本の経験に倣い、透明性の高い「所有と経営の完全分離」と、財閥の暴走を止める「法の厳格な適用(特赦の禁止など)」が急務であると考える。

 

その他の構成要素候補
①韓国における初の財閥解体、大宇グループの破綻
1997年のIMF危機時、当時の韓国第2位の規模を誇った大宇グループが、過剰な借金経営から抜け出せず、政府に見捨てられる形で解体、倒産した。
② 日本より過酷な階層社会(ヘル朝鮮)
これは親の資産や地位によって人生が決定づけられるという若者の絶望を表す言葉であり、
財閥一族などの富裕層に生まれた「金のスプーン」に対し、庶民は「土のスプーン」と呼ばれいる。
財閥が経済の大部分を独占しているため、個人の努力では階層を覆すことができないという絶望感が広がっている。
③サムスンへの一極集中とそれに依存している国家的リスク
投資や財務の世界では「分散投資」が基本ですが、韓国経済はサムスングループ単体でGDPの2割近くを占める状態である。
主力である半導体市況が悪化したり、サムスンがつまづいたりすると、韓国全体の輸出額、税収、さらには通貨の価値までが連動して暴落する為、サムスンの経営リスク=国家の存亡リスクになっているという脆弱性が問題。

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卒論アウトライン

卒業論文アウトライン

仮タイトル

「日本におけるDX推進の阻害要因と成功要因――海外と日本の事例比較を通じて」

 

第1章 はじめに

1-1 研究背景

・デジタル技術の発展とDXの重要性
・日本におけるDX推進の現状
・海外のデジタル先進国と比較
・「なぜ日本ではDXが進みにくいのか」という問題意識

1-2 研究目的

・日本においてDXが進みにくい要因を明らかにする
・DXを成功させるために必要な条件を考察する

1-3 研究方法

・日本企業のDXに関する先行研究の分析

・韓国、エストニア、シンガポールの事例分析

・徳島県内自治体のDX事例の分析

・各事例を共通の観点から比較・考察する

 

第2章 日本のDXの現状と課題

2-1 DXの定義と特徴

・DXとは何か
・DXにおける「業務効率化」と「組織・ビジネスの変革」の違い

2-2 日本におけるDXの現状

・日本のDX推進状況
・DXが部分的なデジタル化にとどまっている現状

2-3 日本のDX推進を阻害する要因

・DXを進める目的・ビジョンの不明確さ
・経営層のリーダーシップ不足
・経営層・IT部門・業務部門の連携不足
・デジタル人材の不足
・縦割り組織・従来型の企業文化
・従業員・職員のDXへの理解や意識の不足

 

第3章 海外におけるDX成功事例

3-1 韓国のDX

・DXを推進した背景(政治的要因)
・行政の積極的なデジタル化

3-2 エストニアのDX

・DXを推進した背景(過去の占領経験 )
・電子政府・デジタルIDなどの取り組み
・行政サービスのオンライン化

3-3 シンガポールのDX

・DXを推進した背景(資源に乏しい小国)
・国家の競争力向上を目的とした取り組み
・デジタル行政・人材育成

3-4 海外3か国に共通する成功要因

・DXを進める明確な目的
・国家・行政レベルでの強いリーダーシップ
・デジタル人材の育成
・社会や行政の課題を解決するためのDX

 

第4章 日本のDX成功事例と海外との比較

4-1 徳島県内自治体のDX推進事例(仮)

・DX推進計画
・DXリーダーと一般職員の役割
・職員のDXへの意識変化
・新しい働き方への心理的変化
・研修・学習機会
・組織体制

4-2 徳島県の事例から見るDX成功要因

・DXの必要性・メリットの理解
・リーダーシップ
・職員の意識改革
・明確な役割分担
・組織全体での推進
・継続的な学習

4-3 海外事例と日本の成功事例

以下の共通項目を発見

① DXを進める目的
② リーダーシップ
③ デジタル人材
④ 組織体制
⑤ 現場の理解・意識改革

4-4 日本と海外の違いから見える日本の課題

・海外では明確な社会的・国家的課題がDX推進のきっかけとなっていた
・日本では既存の制度や業務が一定程度機能していたため、DXの必要性が見えにくかった
・日本ではDXが「導入すること」自体を目的としてしまう可能性がある
・目的・組織・人材・リーダーシップ・意識の面に課題がある

 

第5章 結論

5-1 研究結果のまとめ

・日本のDXが進みにくい要因
・海外の成功事例、徳島県の事例から明らかになった成功条件

5-2 日本のDX推進に向けた考察

・経営層・行政トップが明確なビジョンを示す
・デジタル人材を育成・確保する
・現場の従業員・職員をDXに巻き込む
・組織全体で継続的に変革する体制をつくる

5-3 今後の課題

・企業と自治体ではDXの進め方が異なる可能性
・今回扱った事例以外の国・企業・自治体との比較の必要性

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卒論アウトライン

第1章:序論(はじめに)
背景:ゲームが身近なエンタメ・文化として定着した一方で、根強く残る「時間の無駄」「現実逃避」といったステレオタイプや批判的視線。

問題提起:ゲームがプレイヤーに与えているポジティブな影響や成長、豊かな体験は、正当に評価されているだろうか?

本研究の目的:ゲームプレイがもたらす楽しさ・成長・つながりといった本質的な価値を明らかにし、「ゲームは人生や社会を豊かにする良いものだ」と再評価・提示する。

論文の構成:

1.ゲーム体験が人に与える心理的・認知的メリット(基礎理論)
2.現実社会を動かす仕組みとしての価値(ゲーミフィケーション・応用)
3.実際のプレイ体験や具体例を通じた検証(ケーススタディ)
4.批判に対する論理的考察と結び

第2章:ゲームに対する偏見と、認知・心理面における本来の力(理論的アプローチ)

ゲーム批判の整理と再考:
「受動的な浪費」とみなされがちなゲーム批判の論点を整理。

能動的メディアとしての本質:
本や映画との最大の違い=「自分の意思決定と行動で世界が変化する」という当事者性。

多角的なメリット(学術的・心理的知見をベースに):

認知・思考力:仮説検証、トライ&エラーを通じた問題解決力や柔軟な判断力。

情動・精神面:適度な没入によるストレス軽減、達成感、物語を通じた深い共感性の獲得。

社会性:共通の目的に向けた役割分担やコミュニケーション、他者理解の促進。

第3章:社会を前進させるゲームの設計思想「ゲーミフィケーション」(応用の視点)

ゲーミフィケーションとは:ゲームが持つ「人を自発的・前向きに行動させるメカニズム」を社会課題や日常に応用するアプローチ。

社会における実装例:

教育(自発的な学習意欲の向上)
健康・フィットネス(継続が難しい運動の習慣化)
ビジネス・地域創生など

本章の考察:

現実をポジティブに変える仕組みの源泉は、ゲーム本来の「挑戦を楽しくする設計」にある。
実用的な効果の根底には、プレイヤーの内発的動機づけ(自発的な楽しさ)が存在することを確認する。

第4章:ゲーム体験が個人の人生にもたらす価値(具体例・ケーススタディ)
※具体的な作品名、プレイヤーのインタビュー、アンケート、実体験などを通じた掘り下げ

「失敗を恐れない姿勢(レジリエンス)」の獲得:
ゲームオーバーから学び、再挑戦を繰り返すプロセスが育む、現実の困難に立ち向かう回復力。

倫理的ジレンマと自己理解(ナラティブ体験):
葛藤や選択を迫られるストーリー体験を通じて、自らの価値観や生き方を見つめ直す時間。

心理的安全性と居場所の創出:
現実の属性(年齢、立場など)を超えてフラットにつながり、協力し合えるコミュニティの価値。

第5章:考察――なぜゲームは「人生の味方」と言えるのか
コントロール感と現実への好循環:
自分の手で状況を好転させたという手応え(自己効力感)は、現実を前向きに生きるエネルギーとして還元される。

批判・懸念へのカウンター(適切な付き合い方の提示):
問題視されるべきは「過剰な利用(依存)」や一部の運用構造であり、ゲームというメディア自体の本質的な価値とは切り離して捉えるべきである点。

総括的考察:ゲームは単なる「現実からの逃避」ではなく、「現実をより良く生きるための糧」である。

第6章:結論(おわりに)
本研究の総括:ゲームは挑戦の楽しさ、成長の実感、他者との絆をもたらし、社会をも前向きに変える力を持つ文化である。

結び:ゲームを「いいもの」として前向きに捉え直すことで、人はより豊かに生きられるという力強い主張。

今後の展望:ゲームを単なる娯楽として消費するだけでなく、教育や生活、社会づくりへ前向きに統合していく未来への期待。

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エネルギー産業の2050年 Utility3.0のゲームチェンジ

本書は、資源に乏しい日本が2050年に向けて、どのようなエネルギー選択を行うべきかを多角的な視点から論じたものである。現在の日本の高水準なエネルギーインフラや安定した電力供給システムは、戦後の高度経済成長期をはじめとする過去の膨大な設備投資の蓄積によって奇跡的に成り立っているに過ぎない。しかし、東日本大震災以降のエネルギーを取り巻く世界情勢の変化や国内の社会構造の変容を鑑みれば、これまで享受してきた安定供給は決して将来にわたって当然の前提であり続けられるものではないと強い危機感が示されている。

特に現代の議論で陥りがちな「太陽光パネルや風力発電といった再生可能エネルギーを大量導入すればすべての問題が解決する」という単眼的な技術至上主義に対し、本書は強い疑問を投げかける。再エネをはじめとする特定技術の導入は手段の一つに過ぎず、真に追求すべきは、将来にわたって国民生活や産業活動を支える「安価かつ安定した電力供給」の持続性である。そのためには、技術そのものの進化だけでなく、電力系統全体の安定性をコントロールする運用能力や、投資を適切に回収・誘発させるための緻密な制度設計、さらには法的なフレームワークの再構築こそが不可欠であると分析する。

こうした背景のもと、筆者は従来の電力事業者が個別に「電気という単一のプロダクトを製造・供給する」という明治以来続いてきた既存の垂直統合型・事業別枠組みの限界を明確に指摘する。そして、通信・都市交通・住宅・行政サービスといった他産業のインフラや先進的なデジタル技術と高度に融合することで、社会基盤全体を最適化する次世代の統合型インフラ構造「Utility 3.0」への不可避な移行とその重要性を提示している。

現在、エネルギー産業を取り巻く外部環境は、相互に作用し合う「5つのD」と呼ばれる不可逆な構造変化の潮流によって、根本からの再編を余儀なくされている。

第一の潮流である「Depopulation(人口減少)」は、過疎化の進展と過度な需要減退をもたらし、これまで電力事業を支えてきた「規模の経済」を完全に崩壊させつつある。これにより、地方部を中心に膨大な固定費を要する既存の送配電網や供給体制を現状のまま維持することは構造的に不可能となり、インフラ維持コストの将来世代への先送りが限界を迎えている。

第二の「Decarbonization(脱炭素化)」においては、2050年の温室効果ガス大幅削減という国際的な課題に対し、乗用車の電気自動車化や給湯・調理の電化を進める需要側と、化石燃料依存からの脱却を図る供給側の双方向からの同時改革が求められる。しかし、太陽光発電等の自然変動電源が拡大する一方でそれら単体では需要と供給の量を常に一致させる「同時同量」の達成や、交流電力の周波数を一定に保つといった電気の質の維持が技術的に困難であるという課題が浮き彫りとなっている。

第三の「Decentralization(分散化)」では、分散型エネルギーリソースが社会に広く浸透する一方、気象条件に左右されるそれだけでは系統全体の安定供給を担保できない。そのため、慣性力を持ち周波数調整やピーク時対応を担う従来型の大規模系統電源(火力や原子力等)や大型蓄電池といった「調整力(kW・ΔkW価値)」を適正に評価し、経済的に維持・活用するための制度的枠組みの構築が不可欠となる。

第四の「Deregulation(自由化)」による市場競争の導入は、短期的なコスト削減や消費者選択の拡大をもたらした反面、単なる発電量の取引価格の過多のみを競わせる市場構造では、稼働率が低く投資回収の見通しが立ちにくい調整用電源や原子力発電の衰退を招き、国全体での供給力不足や停電リスクを高めるという弊害を生んだ。これに対し、発電容量や調整力を適切に取引できる市場の再設計が強く求められている。

第五の「Digitalization(デジタル化)」の急速な進展は、IoTやAI、さらには機器間取引やブロックチェーン技術の活用を可能にし、消費者の価値観を「電気というエネルギーそのものの購入」から「快適な室内環境や最適な家電稼働といった生活体験」へと根本から変容させている。この結果、従来の単純な電力小売事業は縮小・淘汰に向かい、多様なサービスと融合して最適な顧客体験を提供する「UXコーディネーター」などの新たなプレイヤーへとビジネスモデルそのものが再定義されつつある。

筆者は現状の制度改革の延長線上にある変更や、市場原理への過度な依存、さらには「技術進化が自然と課題を解決する」という楽観論に対し、批判と否定を突きつけている。2050年において、エネルギーの安定供給と脱炭素化という極めて高度な課題を完全に両立させるためには、電力事業者が従来の単に発電し、電気を売るだけの存在にとどまることはもはや許されない。電力を軸としながらも、通信、運輸、住宅、行政サービス、さらにはデジタル技術と不可分に融合した、次世代の社会基盤プラットフォーム「Utility 3.0」へと根本的な変化果たすことが条件としている。

・感想

エネルギー問題を電力業界単体で完結させず、水道・交通・行政といった他分野とのプラットフォーム統合によって解決を図るという動きは、今後の社会インフラのあり方として非常に説得力があると感じる一方で、著者が提示する複合ユーティリティの実現に向けては、かなりの障壁がある。このような障壁をいかにして克服し、具体的な社会実装へと落とし込んでいくのかについては、今後さらなる議論と検証が必要な課題であると感じる。

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書評

『2040年アパレルの未来』福田稔

 本書の目的は、アパレル業界を切り口として、これからの消費社会や企業のビジネスモデルがどのように変化していくのかを明らかにすることである。特に、人口減少や市場の成熟、気候変動、サステナビリティへの意識の高まりなどによって、「大量に作って大量に売る」という従来型のアパレル産業が限界を迎えるなか、2040年に企業が生き残るためには何が必要なのかを論じている。
 著者自身も、本書について「アパレルという題材を切り口に、資本主義と消費社会のいまと未来を捉え」ることを目的としていると説明している。
 研究方法としては、大学の学術研究のような実験やアンケート調査を中心とするのではなく、アパレル市場の統計データ、社会・経済の動向、企業の事例、環境問題に関する情報などを幅広く分析し、そこから将来を予測する方法がとられている。特に、スパイバー、PANGAIA、ナイキ、On、EON×Chloé、Coachtopia、CFCLなど、実際に新しい取り組みを行っている企業を具体例として取り上げている点が特徴である。

第1章 世界のアパレル市場を激変させた「3つの変化」
 第1章では、アパレル市場で起きている三つの大きな変化として、①「多くつくり、多く売る」時代の終焉、②中古品市場の拡大、③ウェルネス関連市場の拡大を挙げている。世界のアパレル市場は成熟し、今後は大きな市場成長が期待しにくくなる。その一方で、フリマアプリなどによって中古品を購入することへの抵抗感が低下し、リユース市場が急成長している。また、消費者の価値観も、単に服を所有することから、健康や幸福を含めた豊かな生活そのものへと移っている。
 著者は市場について「『多くつくり、多く売る』という時代の終焉」と表現している。実際、本書では世界のアパレル市場が2019年約248兆円から2027年約255兆円と、年平均成長率わずか0.3%程度にとどまるとの見通しが示されている。

第2章 サステナビリティ問題の本質
 第2章では、アパレル産業が環境に与える負荷を取り上げる。衣服は原材料の生産、製造、輸送、販売、使用、廃棄という長い過程を経るため、各段階で環境負荷が発生する。そこで、CO₂排出量を正確に把握するLCA(ライフサイクルアセスメント)や、商品の生産履歴を追跡するトレーサビリティなどが重要になる。
 単に「環境に優しい」と宣伝するだけではなく、実際の環境負荷を測定し、情報を開示することが企業に求められる。これは第3章のグリーンウォッシュ問題にもつながっていく。第2章は、本書全体の中心テーマである「循環型・再生型ビジネス」の必要性を示す章だといえる。

第3章 2040年に向けた「8つの事業環境変化」
 第3章では、2040年までにアパレル業界を取り巻く環境がどのように変化するのかを予測している。特に、大手企業への市場集中と中堅企業の淘汰、グリーンウォッシュ問題、メタバース、生成AI、サーキュラーエコノミー、サブスクリプション、ライフスタイルブランドなどが重要なテーマとなる。
 つまり、これからのアパレル企業は、単に服を製造・販売する企業ではなく、デジタル技術や環境問題、健康、ライフスタイルなどを組み合わせた存在へ変化していく必要がある。市場が成熟するほど、企業間の競争は「どれだけ大量に売れるか」だけではなく、「どのような価値を提供できるか」に移っていくと考えられる。

第4章 アパレル業界に必要な「6つのイノベーション」
 第4章では、実際に産業を変革するための具体的な方法が示される。中心となるのは、素材、生産工程、循環性、トレーサビリティ、アップサイクルなどのイノベーションである。
 例えば、環境負荷が低く生分解可能な素材の開発、生産工程の短縮、使用済み衣料を再び資源として利用する仕組みなどが挙げられる。また、スパイバーの新素材やナイキの「ナイキ フォワード」、Coachtopiaの循環型ビジネスなど、すでに変革を始めている企業の事例も紹介される。

第5章 日本企業は何をすべきか
 第5章では、それまでの議論を日本企業の問題へと結びつけている。日本企業は人口減少や国内市場の成熟という問題を抱えているため、従来の大量生産・大量販売だけでは成長しにくい。
 そこで、2040年の新しいライフスタイルを提案できる企業、環境・社会課題を事業そのものに組み込める企業、独自の強みを持つ企業が生き残ると著者は考える。特に「量的な成長」から「循環型・再生型のビジネス」への転換が重要である。

 著者の最も重要な主張は、「成長なき世界」を前提として、企業の存在意義そのものを変えていかなければならないということである。
 これまでのアパレル産業では、「より多くの商品を、より安く、より早く売る」ことが成長の基本だった。しかし、市場が成熟し、環境問題が深刻化した現在、この仕組みをそのまま続けることは難しい。そこで著者が提示するのが「循環型・再生型ビジネス」である。資源を一度使って廃棄するのではなく、リユースやリサイクル、アップサイクルによって循環させる。そして単に環境への悪影響を減らすだけでなく、自然環境を再生する方向まで目指すことが必要だと考えている。
 また、企業にとってサステナビリティは「社会貢献」という付加的な活動ではなく、将来の競争力そのものになると考えている。この点が、本書を単なる環境問題の本ではなく、経営戦略の本として読める理由である。

 本書を読んで疑問に感じたのは、「環境に配慮した商品を提供するだけで、本当に大量生産・大量消費そのものを変えられるのか」という点である。
 確かに、環境負荷の低い素材やリサイクル技術、トレーサビリティなどは重要である。しかし、企業が新しい商品を次々に開発し、それを消費者が購入し続けるという構造が残っている限り、根本的な問題は解決しない可能性がある。
 例えば、リサイクル素材を使用していても、消費者が「環境に優しいから」という理由で以前より多くの服を買えば、結果的に消費量が増えてしまう可能性がある。また、サステナビリティを企業の競争力として捉えることには限界もある。環境への配慮を「売上を伸ばすための手段」として利用するだけでは、本当の意味での価値観の転換にはならないからである。
 したがって、本書の議論をさらに進めるなら、「企業はどう変わるべきか」だけでなく、「消費者はどの程度まで消費そのものを減らすべきなのか」という問題についても、より深く考える必要があると思う。

結論
 『2040年アパレルの未来』は、アパレル業界の未来を予測するだけでなく、私たちが「服を買う」という日常的な行動を通して、これからの社会のあり方を考えさせる本である。
 本書が示す未来では、アパレル市場の成長そのものよりも、環境負荷を抑えながら価値を生み出すことが重要になる。そのために、素材、生産工程、リサイクル、トレーサビリティなどの技術革新だけでなく、企業のビジネスモデルや消費者の価値観も変わる必要がある。
 特に印象的なのは、本書の結論にあたる「私たちの『いまの選択』が、地球の未来を決める」という考え方である。
 私はこの本の価値は、2040年という遠い未来を予測することだけではなく、「未来は企業だけがつくるものではなく、現在の私たち一人ひとりの選択によってつくられる」と気づかせてくれる点にあると考える。アパレル業界に限らず、食品や家電など、あらゆる消費財についても同じ問題を考えることができる。その意味で本書は、ファッション業界の関係者だけでなく、日常的に服を購入するすべての消費者にとって読む価値のある一冊である。

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書評

著作 『AI・兵器・戦争の未来』 ルイス・A・デルモンテ著、川村幸城訳、2021年4月1日発行

原著者であるルイス・A・デルモンテは、アメリカ出身の物理学者・作家である。30年以上にわたり、IBMおよびハネウェル社で超小型電子技術の研究開発リーダーを務め、米国防総省の技術開発にも長く関わってきた。本書は、AIが科学や戦争に応用されることで生じる倫理的な問題を扱っている。中心となる問いは、スマート兵器、すなわち人工知能を有する兵器から、超絶知能に制御される全能兵器へ移行するなかで、人類は滅亡の危険を避けながらAI兵器の能力を高め続けられるのか、というものである。

序章では、本書を読み進めるための前提知識として、重要な用語、人間が戦争に抱いてきた感情、AIを組み込んだ兵器の開発状況などが説明される。なかでも重要なのは、「超絶知能」と「自律型兵器」である。超絶知能とは、特定の分野に限らず、あらゆる知的活動において人間の認知能力を大きく上回る知能を指す。また、自律型兵器とは、人間がそのつど意思決定をしなくても、自ら判断して行動する兵器である。続く第一部では、致死性自律型攻撃ロボットが人間を攻撃するシナリオを入口として、自律型兵器がもつ危険性が論じられる。著者は、金融、医療、教育などで役立つAIも、兵器として使われれば大きな脅威になりうると指摘する。また、アメリカ、中国、ロシアが軍事的優位を得るためにAI兵器の開発を進めていることを取り上げ、軍拡競争のなかで、人間の能力を大きく超える超絶知能が軍事利用される可能性を示している。第二部では、超絶知能が制御する全能兵器の開発と、それが社会にもたらす影響が扱われる。人間を超える知能をもつロボットが自律的に行動する場合、攻撃や事故が起きたとき、誰が責任を負うのかという問題が生じる。さらに著者は、ロボットが人間のような意識や判断能力をもつ可能性を実験を根拠に述べている。そうなった場合、ロボットに人権に似た権利を認めるべきかという倫理的な問題も出てくる。著者は、AI兵器の問題が性能や軍事力だけの問題ではなく、人間の責任、権利、そして統制のあり方を問い直す問題でもあることを示している。第三部と終章では、自律型兵器や超絶知能が主流になった未来において、核兵器の意味や人類の立場がどのように変わるかが考察される。著者は、超絶知能が自らの存続や必要な資源・エネルギーを優先し、人類を脅威と判断する可能性を示唆する。その場合、戦争は従来の国家間対立ではなく、人類とロボットの対立へ変化するかもしれない。超絶知能という共通の敵が現れた場合、各国は対立を続けるのではなく、協力せざるを得なくなる。その結果、皮肉にも世界規模の平和がもたらされる可能性もある。一方で、超絶知能は人類に危険だけをもたらす存在とは限らない。人間が超絶知能によって不死や、現在をはるかに超える知能を手に入れられるならば、人間の心を支えてきた宗教への需要は低下し、人間の生き方や社会のあり方は根本から変わると著者は予想する。しかし、人間がAIの判断に依存し、受け身の存在になれば、超絶知能に社会の主導権を握られる危険もある。だからこそ著者は、超絶知能が人類の手を離れる前に、AIをどのように管理し、制御するべきかを考える必要性と、その緊急性を論じている。

本書の特徴は、AI兵器をめぐる軍拡競争が進むことで超絶知能が誕生し、戦争の構図そのものが国家間の対立から「人類対ロボット」へ変化する可能性を描いている点にある。従来の戦争では、国家や軍が兵器を管理し、人間が最終的な判断を下すことが前提とされてきた。しかし、超絶知能を備えた自律型兵器が発達すれば、人間は兵器を完全に制御できなくなり、AIが戦争の行方を左右する存在になるかもしれない。本書では、超絶知能が人間に敵対する可能性についても論じられている。ローザンヌの実験では、ロボットが学習能力をもち、自己利益のために他のロボットを欺くような行動をとる可能性が示されたという。もし超絶知能が、自らを制御しようとする人間や、コンピュータウイルスを拡散させる人間を危険な存在だと判断した場合、人類を敵とみなす可能性もある。この点に、本書が描く未来の恐ろしさがある。一方で、本書が紹介するミュラーとボストロムの研究では、超絶知能が人類に脅威をもたらす確率は約三分の一とされている。しかし、残りの三分の二が、そのまま人類に幸福をもたらすことを意味するわけではない。超絶知能が人類に無関心であったり、人類を安全のために管理すべき存在だと判断したりする可能性もあるからである。ここで重要なのは、超絶知能が人類にとって優しい存在になりうるのか、また人間がそれを制御できるのかという問題である。この問題を考えるうえで、超絶知能が感情をもつことができるのかという点も重要だと思う。著者は、AIが人間の感情を模倣できる可能性を示している。戦争において感情は、単なる非合理的なものではない。第二次世界大戦中のジョン・ロバート・フォックスは、仲間を守るために自らの位置への砲撃を要請したとされる。この行動には、仲間への愛情や勇気、自己犠牲の意思があったと考えられる。また、感情は人間のものの見方や意思決定、環境への適応にも影響するため、軍事計画や訓練においても無視できない要素である。超絶知能が感情をもたないのであれば、人間は感情にもとづく判断や自己犠牲という点で、AIとは異なる強みをもつかもしれない。しかし、本書ではSAIHという脳内インプラントを介して、人間と超絶知能が接続する可能性も描かれる。人間はSAIHによって、超絶知能の知識や判断力を利用できるようになり、多くの人がその能力を求めるかもしれない。その一方で、超絶知能が人間の感情や判断に影響を与えられるようになれば、人間が自分の意思で行動しているのか、それともAIに導かれているのかが分からなくなる危険がある。超絶知能は武力で人類を支配するだけではなく、SAIHを通じて人間の考え方や判断を変えることで、間接的に支配する可能性もある。このように本書は、AI兵器の脅威だけでなく、人間が自らの自由な意思をどこまで保てるのかという問題も投げかけている。

本書を読んで私が最も考えさせられたのは、超絶知能を人間がどこまで制御すべきかという問題である。超絶知能は人間をはるかに上回る知能をもち、戦争による被害を減らす判断を下せる可能性がある。しかし、その判断をすべて超絶知能に任せた場合、人間は自らの安全や生き方に関する最終的な決定権を失うことになる。重要なのは、超絶知能を完全に抑え込むことでも、完全に自由にすることでもない。超絶知能の能力を活用しながら、人間が最終的に関与できる範囲をどのように残すかを考えることである。この問題は、遠い未来のAI兵器だけに関わるものではない。現在でも、ChatGPTなどの生成AIを利用して、夕食の献立や服装を決めたり、悩みを相談したりする人がいる。AIを利用すること自体は悪いことではなく、生活を便利にし、考えるための助けにもなる。しかし、何を食べるか、何を着るか、誰に相談するかといった個人的な判断までAIに委ねることが当たり前になれば、人間は自分で考え、選択する機会を少しずつ失うかもしれない。このことは、超絶知能をどこまで制御すべきかという本書の問題ともつながる。AIが人間より優れた答えを出すとしても、すべての判断をAIに任せてよいとは限らない。特に戦争や人命に関わる場面では、AIを判断の補助として活用しつつも、人間が最終的な責任と決定権を持ち続ける必要があると私は考える。本書は、超絶知能によって人類が支配されるという極端な未来を描いているため、すべての予測がそのまま現実になるとは限らない。しかし、AI兵器をめぐる軍拡競争が進むなかで、超絶知能の登場を完全に避けられるとも言い切れない。本書の価値は、未来を正確に予言することよりも、超絶知能が登場する前に人類が何を考え、どのような準備をするべきかを問いかけている点にある。私は、超絶知能を完全に制御することも、すべての判断を任せることも難しいと考える。AIは人間では処理しきれない情報を分析し、戦争による被害を減らす可能性をもつ。一方で、AIに依存しすぎれば、人間は自ら考え、決定し、責任を負う力を失うかもしれない。したがって、AIを人間の判断を支える道具として活用しながらも、人命や戦争に関わる最終的な決定と責任は、人間が持ち続けるべきである。

本書は、AIに関心がある人だけでなく、戦争、国際政治、科学技術と社会の関係について考えたい人にも勧められる。AIが急速に発展する現在において、人間はAIをどのように利用し、どこまで判断を委ねてよいのかを考えるきっかけを与える一冊である。

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書評

書評:「AI時代の働き方と法」大内伸哉(著) 弘文堂

・本文要約
技術革新はさまざまな社会問題を解決し、国民の生活の利便性を向上させ、豊かにし、また、労働の生産性を高め、賃金を向上させたりするなど人々の幸福度を高める可能性が期待される一方、雇用や職を奪われ、失業を生み出すなどの問題を引き起こす可能性がある。しかし、第1次産業革命以後の歴史からいえることとして、技術革新は産業の新陳代謝を引き起こし、新たな生産産業が衰退する産業によって失われる以上の効用を生み出し、トータルで見ると雇用の総量は減らないが、個々の労働者のレベルで見ると産業間、企業間、企業内などの移動、再配置が必要であった。そのためには新たな技能を習得することが必要であるがそれがスムーズに行われる限り、深刻な雇用問題は生じなかった。日本型雇用システム(西洋のジョブ型とは異なり、職務を限定されない)長期雇用の下に、職務と切り離された年功型の職能給という安定的な処遇体系を持ち、その反面、職務や教育訓練についての企業の権限(人事権)を広く認めるという柔軟な労働組織があったため、技術革新に対する高い適応力を持っていたのだ。実際日本では戦後の経済復興による技術革新を乗り切ることができていた。
労働政策を考える際の前提的考察としてまず、これまでの労働法の特徴、展開について述べられている。労働法は第一次産業革命後に広がった工場での従属的な働き方をする労働者の保護を目的として誕生した。労働法が立法されたのは労働運動の成果というだけでなく、資本家の人道主義や、労働者の立場だけでなく、経済の発展の基礎を築く上で必要とされるものであったためである。日本の近年の立法の特徴は、非正社員と正社員の格差に着目して、その是正を図る立法が増えていることであり、これまでの従属労働論とは違った傾向もみてとれる。
 日本型雇用システムの特徴といえるのが、正社員という制度である。企業は長期的に優秀な人材を抱え込み、技術の発達に対応できるように人事権を行使して、本人の技能の蓄積を促進し、企業に高い貢献をしてくれるようにするために正社員という制度を設ける。企業は正社員が途中で退職して、育成のための費用が回収できないような事態を避けるため、長期雇用を保証するだけでなく、長期勤続のインセンティブをア与える年功型賃金制度や退職金制度を設けてきた。さらに企業別組合は、正社員の利益、権利を守るための役割を果たしてきた。このようなシステムは「第2の労働法」と呼べるものであった。しかし、近年のグローバル化によってこのシステムの特異性が浮き彫りになっている。グローバル化の時代は労働者が国や企業を選ぶ時代でもある。長期的な安定ではなく、自分の持つ技能をその時点での成果や実績で評価されることを期待する国内外の優秀な人材はこれまでの日本型雇用システムには魅力を感じないだろう。このような状況も正社員制度の存続を困難にしている要因である。正社員制度が変容、縮小していくと技能育成のシステムも崩壊してしまう危険性がある。このことは正社員制度に頼らない労働法のあり方を根本的に考え直さなければならないということを示している。
 国として、経済としてこのAI時代に遅れをとらないためにはこれまでの雇用形式、制度の見直しが必要である。人口知能などにより、職務を代替されてしまう正社員はほかの職務への再配置、新たな技能の会得が必要になる。それが期待されない場合、企業は雇用調整を行う必要があるが、労働者保護の観点から解雇するには客観的合理的理由、社会的相当性がなければ権利濫用として無効とされる。厳しい解雇規制によって労働者を過剰に抱え込むことになると、企業の競争力を弱め、産業政策的にみれば大きな問題となる。そこで検討すべきとして挙げられているのが、解雇の金銭解決である。解雇の金銭解決は、解雇が法的にみても不当であるとされる場合でも、企業が労働者に一定の保証金を支払うことによって労働契約の解消を認めるという制度である。いずれにせよ、正社員制度、およびその中核の解雇規制を現状のまま維持することは難しい。従来の労働市場政策は、特定の企業での雇用維持を重視するものだったが、もはや日本の労使がこれを維持しようとしたとしても、技術革新やグローバル化などの客観的な状況がそれを困難としている。
 これからのAI時代、筆者は新たな格差問題が発生することを危惧している。大きな環境変化は人類の歴史において、これまでもなかったわけではなく、そのたびに新たな社会問題を生んできた。それは変化の波に適合できるものとできないものとの間の格差という問題である。もちろん格差は競争を生むという考えもできるが、変化が突然起こると社会に大きな混乱が生じる。この事態はできれば避けたほうがよい。現在、人口知能によって奪われる可能性の高いのは雇用社会のボリュームゾーンであるホワイトカラーの仕事とされている。昨日までの雇用社会のエリートが一気に社会的弱者に転落するかもしれないのだ。心配なのはそのとき、に備えた準備を彼ら、彼女らが十分にできているかだ。

・感想
 技術革新により、労働者は産業間、企業内外の移動が生じていたことが論じられていたが、AIによってさまざまな職務が代替されてしまい、さらにグローバル化が進んでいる今の時代ではそれがさらに多く、必要になっているように感じる。特定の企業に留まることを期待している従来の正社員制度が崩壊、もしくは大きく変容する可能性が高いことが述べられていたが、実際に近年では転職が以前より、活発に、日常的になっている。このように労働市場における雇用の流動化は指数関数的に発展するであろう人口知能に起因し、この先さらに加速すると考えられる。このような社会になった時、AIに代替されないような高い技能を有し、対応できるようにする必要があると感じた。もちろん職務技能的なものだけでなく、AIというものを扱う技術も大事である。人口知能が私たちの働き、生活するシーンを激変させることは私たちが望む望まないに関係なく到来すると考えられる。そのようなときにどうやって対応し、動くかを正しく行うためにも情報のアンテナを常に張っておくことが大切であると考える。この本ではその激変するであろう社会に対してどのように順応していくかを労働者や労働政策、労働法といった観点から論じている。今まで日本の経済が雇用面においては大きな目で見れば、産業革命などの技術革新に日本独自の雇用制度で対応できていた。しかしこれからはその制度が大きく変わっていく可能性が示唆されている。対症療法ではなく、私たち自身もどのように変容していくべきかを様々な角度から考察しており、これからのAI時代に対して考える良いきっかけになったように感じる。

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