書評レポート
安倍誠『韓国財閥の成長と変容――四大グループの組織改革と資源配分構造』
①はじめに
韓国経済における財閥の存在は、単なる企業集団という枠を超えて、国家の産業政策、社会構造、さらには国民生活にまで深く関わっている。サムスン、LG、現代、SKといった四大財閥は、今日に至るまで韓国経済の中核を担い続けており、その影響力はGDP比や雇用規模の観点からも極めて大きい。本書は、こうした財閥を対象に、その成長過程と組織改革、資源配分の仕組みを精緻に分析することで、韓国経済の特異性を浮き彫りにする事が出来ると考える。特に著者は単に経済成長の成果を評価するのではなく、制度的な脆弱性や社会的リスクといった負の側面にも着目しており、政策的にも高い意義を持つ研究となっていると感じた。
②本書の概要
本書は、韓国経済の発展史と財閥の変容を緻密に追跡し、特に「組織改革」と「資源配分構造」という二つの分析軸を通じて財閥の本質を解明するものである。著者は、財閥の成長を単なる量的拡大として捉えるのではなく、その内部構造と外部環境の相互作用として描き出している点に特徴がある。
第1章 財閥の形成期(1960年代~1970年代)
朴正熙政権下の国家主導型経済政策は、財閥の急成長を可能にした。政府は輸出主導型工業化戦略を掲げ、銀行融資や税制優遇を通じて特定企業を重点的に育成した。この段階でサムスンは電子事業に進出し、LG(当時のラクヒ化学と金星社)は化学・家電分野を拡大、現代は造船・自動車事業を成長軌道に乗せ、SKは石油化学を基盤にグループを拡張した。国家と財閥が二人三脚で経済発展を進める「開発独裁」体制は、韓国特有の財閥経済を形づくる基盤となった。
第2章 高成長期と多角化(1980年代~1990年代前半)
1980年代に入ると、財閥は既存の産業分野に加えて多角化を進めた。サムスンは半導体への巨額投資を行い、1983年にDRAMの量産に成功するなど国際競争力を高めた。LGは化学事業を軸に通信・電子分野へ進出し、現代は自動車輸出で米国市場を開拓、SKは通信事業をグループの成長エンジンに据えた。この時期、上位30大財閥の売上高はGDPの半分近くに達し、経済の寡占構造が固定化した。
著者は、こうした成長の背景に「内部資本市場」の存在を指摘する。すなわち、系列内で資金を融通し合い、新規事業や子会社を支援する仕組みである。これは迅速な投資判断を可能にしたが、同時に不採算部門を温存し、資本効率の低下を招く温床ともなった。
第3章 アジア通貨危機と構造改革(1997年~2000年代前半)
1997年の通貨危機は、財閥の脆弱性を一気に露呈させた。過剰債務、多角化の失敗、国際金融への過度な依存が重なり、大宇グループの破綻に象徴されるように、多くの財閥が深刻な危機に直面した。IMF管理下で、韓国政府は財閥改革を推進し、系列間取引の制限や出資規制の強化を行った。
この過程で、一部の財閥は大胆な再編を進めた。サムスンは李健熙会長のリーダーシップのもと「新経営宣言」を打ち出し、品質重視と研究開発投資を徹底した。LGは化学・電子を中心に事業を整理し、2003年には「LGブランド」の統一戦略を推進した。現代は自動車事業に資源を集中させる一方、造船部門を切り離すなど再編を行った。SKは通信分野に軸足を移し、石油依存からの脱却を図った。
著者は、これらの事例を「危機を通じた適応」と位置づけ、財閥が国家的制約の下でも柔軟に変化しうる存在であることを強調する。
第4章 2000年代半ばまでの到達点
改革の結果、財閥は経営効率の改善を一定程度実現した。しかし、本書が指摘する通り、その本質的な構造は変わらなかった。創業家による支配は依然として強固であり、循環出資の解消は不十分にとどまった。さらに、内部資本市場の非効率性や系列依存の構造も持続し、ガバナンスの欠陥は解消されなかった。
著者は結論として、韓国財閥の変容は「改革と問題点の同時進行」という矛盾した性質を帯びていると述べる。つまり、外部環境に適応して表面的な改革を進めつつも、根本的な支配構造は温存され続けたのである。
③財閥の問題点
本書を通じて浮き彫りとなるのは、韓国財閥の構造的な問題点である。
第一に、オーナー家支配の強さである。循環出資や株式持ち合いは、少数株で巨大な企業群を支配することを可能にする一方で、経営の透明性を欠如させる仕組みである。社外取締役制度などのガバナンス改革が導入されたものの、その多くは形骸化し、実質的な権力は創業家に集中し続けている。これはガバナンスの形骸化を招き、投資家や市場からの信頼を損なう要因となる。
第二に、内部資本市場の歪みである。財閥内では資源が系列内で優先的に配分されるため、収益性に乏しい事業が温存される傾向が強い。結果として、資源が本来効率的に活用されるべき新規分野や革新技術に十分投入されず、全体の競争力が阻害される。1997年の通貨危機での連鎖的な破綻は、この非効率性が蓄積した結果ともいえる。
第三に、社会的影響力の過大さである。財閥の経営判断は、系列取引に依存する中小企業や労働者に直接的な影響を及ぼす。そのため、一つの投資判断や撤退が地域経済や雇用全体に深刻な打撃を与える可能性がある。加えて、財閥と政治との結びつきはしばしば汚職や不透明な意思決定を生み、韓国社会全体の公正さに疑問を投げかけている。
④現代的課題と本書の意義
2010年代以降、財閥はグローバル市場での競争を強める一方で、新たな課題にも直面している。サムスンの半導体事業は世界的に成功したが、その過程で創業家の相続問題や経営権をめぐる不正が社会問題化した。LGやSKも国際展開を進めたが、内部統治や持株構造の歪みを完全には克服できていない。
加えて、近年はESG(環境・社会・ガバナンス)投資や持続可能性への対応が重視されるようになり、財閥の旧来的な経営モデルは国際基準からの遅れを指摘されつつある。本書の枠組みは、こうした現代的議論に対しても適用可能であり、「改革と問題点の同時進行」という視点は、韓国の財閥を理解する上で依然として有効である。
結論
本書は、韓国財閥の歴史的発展を緻密に分析し、その組織的特徴と限界を明らかにしている書籍である。財閥は韓国経済の成長を牽引する一方で、オーナー家支配、内部資本市場の非効率性、社会的影響力の過大さという構造的な問題を抱え続けてきた。著者の結論が示すように、改革は進んでも問題点が解消されることはなく、両者が並存するという矛盾が韓国財閥の最大の特徴である。
したがって、本書は単なる経済史の記録にとどまらず、現代における企業統治や資本主義のあり方を考える上で重要な情報を与える。今後、韓国財閥の資源集中が引き続き経済成長を支えるのか、それともガバナンスや社会的公正性を損なうリスクとなるのかは、研究者のみならず社会全体に投げかけられた問いであると考える。