月別アーカイブ: 2020年9月

書評「つながりっぱなしの日常を生きる」

現代の社会を生きていく上で切ることのできないソーシャルメディアとのつながり。本書はつながりっぱなしの生活の中で何が新しく何がそうでないのか、何をもたらし何を奪ったのかについて、米国での若者へのインタビューをもとに解説している。著者は米国における若者とインターネットに関する研究の第一人者である。この本を手に取ったのはソーシャルメディアの利用が当たり前となる中で、日常との境界がなくなり依存しすぎているのではないかと自分自身においても、身の回りの人についても不安に思ったからである。最近よく耳にするSNSでの誹謗中傷問題。そこまでしてオンライン上でつながり続ける意義とは何かを問うために読んだ。全八章で個人から家族、それから大きな社会問題への取り組みへと流れるように構成されている。 第一、二章ではソーシャルメディアによって作られた条件や特徴としてあげられる「持続性、可視性、拡散性、検索可能性」の四つについて述べられている。オンライン上でのやりとりは、会話のようにその場限りの物ではなく目に見える形で残り拡散・検索が可能となる。個人を晒しているようで大人たちは批判するが、ティーンたちはプロフィールを偽り、公に見られても影響のない情報のみを提示することで個人を保っている。 第三章ではどうして利用し続けるのか、「中毒」について述べられている。ティーンは日常のスケジュールを大人に管理されており、自由の時間が少ないと嘆いている。その中で唯一友達と繋がれる社交の場としてソーシャルメディアを利用している。テクノロジーのせいではなく単に友達同士の中毒なのである。 第四~六章ではソーシャルメディアを利用しての「危険、いじめ、不平等」について述べられている。実際、統計的にはオンライン上での犯罪は可能性が低い。むしろ、現実での悩みを抱える人の逃げ場となっており、若者を助けるために利用しなければいけないとされている。 第七、八章では「リテラシー、パブリック」として、ティーンには大人の影響が大きいことが示されている。デジタルネイティブの時代と言われているが、リテラシーは元々身についているわけではなく、大人も同じで生涯かけて学んでいく必要がある。ティーンは自由が制限されているためにネット上にパブリックを作り出しており、大人はそれを否定したり危険を心配したりするのではなく、複雑な状況を生産的に切り抜けるために協力するべきであるとまとめられている。 本書を読んで、人々はなぜソーシャルメディアを利用し続けているのかは理解することが出来た。自由に動き回れる時間的制約もあるため、気軽にコミュニケーションをとることが出来るオンラインは切っても切り離せない。アプリやサイトが時代によって変わっても、利用する本来の目的は大して変化しないと書かれていた。だが、現代の人々は時間があっても友達が目の前にいてもソーシャルメディアを利用することがある。ティーンだけでなく大人でも同じことで、依存しすぎる前にもう一度自分自身で本来の目的を考えなければ、日常生活に影響を及ぼしかねないと思う。全く別の世界ではなくリアルの延長線上にあるからこそ、ソーシャルメディアと上手く共存していくのは難しく、まだまだ課題は多いのだと感じた。 「つながりっぱなしの日常を生きる ソーシャルメディアが若者にもたらしたもの」ダナ・ボイド(2014)草思社

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書評 『そうだったのか!中国』

近年、急速な経済成長で世界に圧倒的な存在感をみせている中国。日本と中国との二国間の関係は絶えず変化し、新聞やテレビ等のメディアでも中国に関する報道が連日なされている。普段何気なく見聞きすることの多い中国であるが私たちはこの隣国についてどれくらいのことを知っているだろうか。私たちは、中国について古代から近代までは学校の世界史でも学ぶ。しかし、現代史についてはそのカリキュラムの都合上、学ぶ機会は決して多くない。日本の多くの若者が中国現代史についてあまり知らないのである。本書はそうした人でも理解のしやすいように、複雑な中国現代史についてなるべくわかりやすく、噛み砕いて解説した、中国という国をより深く知るための入門書となりえる書である。 第一章では今なお話題になることの多い反日運動についてなぜそのような運動を起こすのか、その源流はどこにあるのかについて解説している。 第二章〜五章では毛沢東による共産党の誕生、中華人民共和国の建国、実権を握った毛沢東の愚策「大躍進政策」と奪われた権力を取り戻すために民衆を煽って起こされた奪権運動「文化大革命」、毛の死後の混乱について毛沢東という人物に視点を当てながら解説している。中国現代史はこの毛沢東という人物抜きには語れない。彼は優れた軍事家・戦略家であり、中国という現在ある国の基礎を形作った立役者であったが、同時に建国後の彼の独裁政治は混沌を極め、多くの惨劇を引き起こした。彼がもたらした負の遺産は今なお現代の中国に影響をもたらし続けている。 第十二章では天安門事件について取り上げている。天安門事件は1989年6月4日に北京市内の天安門広場にて中国の民主化をもとめる運動を起こしていた学生・市民たちに対して軍隊が武力行使し、多数の民衆を虐殺した事件である。本章ではこの事件が起きるにいたった経緯、その後の中国政府の対応について深く解説している。 その他の章では鄧小平による新たな改革路線、一人っ子政策のあらましと影響、香港の「回収」と台湾への「解放」、チベット問題、進む軍備拡張、そして開き続ける経済格差など中国現代史とともに、現在の中国が抱えているさまざま問題を、ひとつの章ごとに分けて丁寧に解説している。 この本を選んだ理由は、なにかとニュースなどで取り上げられる機会の多い中国という国について、ニュースをより深く知るためには過去に何が起きていたのか、その報道の背景には何があるのか、そして中国は今にいたるまでどんな歴史を歩んできたのかについて知る必要があると思ったからである。この本を読んで、中国の現代史というあまり知らなかった分野の概要を掴むことができた。また現在中国ではどんな問題が起きているのかも新しく学ぶことができた。それと同時に「歴史を直視せよ」と日本に対して頻繁に主張する中国政府に対して疑問を思った。なぜなら中国共産党公認の歴史には、共産党によって隠蔽・改竄されたものが多数あり、そうした歴史の多くが中国国内ではタブーとされていると知ったからである。文化大革命しかり天安門事件しかり。 「歴史を直視せよ」その言いや良し。私たちがもっと歴史を学ぶ必要があることは間違いない。しかし、中国は自国の歴史を直視することができているのか。その言葉を自らにも問いかけるべきであると感じた。 池上彰(2010)「そうだったのか!中国」集英社文庫

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書評2025年、人は「買い物」をしなくなる

著者は東証1部の経営コンサルティング会社を経て、いつも.を共同創業。同社はEコマースビジネスのコンサルティングファームとして、数多くの企業に戦略とマーケティング支援を提供している。デジタル消費トレンドの第一人者として、消費財・ファッション・食品・化粧品のライフスタイル領域を中心に、ブランド企業に対するデジタルシフトやEコマース戦略などのコンサルティングを手掛ける。 第1章では買い物の体験の変化を過去の変遷と現代の事例をもとに解説している。買い物のプロセスが省略されることで買い物に使う時間が極限まで短縮されるということを指している。また顧客が買い物に求める価値が変わってきて体験価値を提供できない店舗は消えていくと予想されている。 第2章では日本のショッピングの歴史を事例をもとに解説している。買い物時間は買い物の時間が従来の百貨店やスーパーなど時間を多く使うものからインターネットショッピングに移ることで短縮されている。これはスマートフォンがもたらした情報へ直接つながることができることの影響がある。つまり商品棚が手元にきたのだ。ショッピング史は棚の奪い合いだった。そこに現在の潮流である自分で選択することを減らすことへのシフトが相まってデジタルでの買い物がどんどんシェアを拡大していると述べられている。 第3章ではリーディング・カンパニーが時代にどのように対応するべきかが書かれている。現代人は忙しい。だからこそ時間を生み出すことは非常に価値が高いものとなった。時代は商品棚の奪い合いから時間の奪い合いへと移っていった。そしてより「消費者の時間を作る」商品が好まれることになっていくだろうとされている。 第4章ではデジタルシェルフについて詳しく解説されている。商品棚はデジタル上に存在しリアル店舗よりもオンライン上の一等地に並んでいることが重要になった。また今後はデータドリブンによって無意識の買い物が始まると予想している。 第5章では買い物時間が0秒になった世界について書かれている。買い物は自分で選ぶものではなく人かAIが薦めたものを選ぶようになる。起きてから寝るまで最適なサービスが提供され続けていつでもバーチャルコンシェルジュが帯同しているような状態になるとされている。そして人は選択をしなくなり、決済のみを買い物の際には判断するだけでいい世界が日本でもできるかもしれないと論じている。 ショッピングの構造自体が変化していることが本書でわかった。その根底にはライフスタイルの変化があり、デジタル化が遅れているという日本でも避けられないと感じた。これからの時代は個人情報が筒抜けになるリスクを受け入れる代わりに革新的でよりパーソナライズ化されたサービスを受けざるを得ない時代になっていくと考える。中国の信用スコアに基づいた世界が当たり前になるかもしれない。良くも悪くも新しい当たり前が作られていくなかで10年後を見据えて行動していく大切さを本書から学んだ。 2025年、人は「買い物」をしなくなる望月智之 著 2019年11月15日 クロスメディアパブリッシング  

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