書評「つながりっぱなしの日常を生きる」

現代の社会を生きていく上で切ることのできないソーシャルメディアとのつながり。本書はつながりっぱなしの生活の中で何が新しく何がそうでないのか、何をもたらし何を奪ったのかについて、米国での若者へのインタビューをもとに解説している。著者は米国における若者とインターネットに関する研究の第一人者である。この本を手に取ったのはソーシャルメディアの利用が当たり前となる中で、日常との境界がなくなり依存しすぎているのではないかと自分自身においても、身の回りの人についても不安に思ったからである。最近よく耳にするSNSでの誹謗中傷問題。そこまでしてオンライン上でつながり続ける意義とは何かを問うために読んだ。全八章で個人から家族、それから大きな社会問題への取り組みへと流れるように構成されている。

第一、二章ではソーシャルメディアによって作られた条件や特徴としてあげられる「持続性、可視性、拡散性、検索可能性」の四つについて述べられている。オンライン上でのやりとりは、会話のようにその場限りの物ではなく目に見える形で残り拡散・検索が可能となる。個人を晒しているようで大人たちは批判するが、ティーンたちはプロフィールを偽り、公に見られても影響のない情報のみを提示することで個人を保っている。

第三章ではどうして利用し続けるのか、「中毒」について述べられている。ティーンは日常のスケジュールを大人に管理されており、自由の時間が少ないと嘆いている。その中で唯一友達と繋がれる社交の場としてソーシャルメディアを利用している。テクノロジーのせいではなく単に友達同士の中毒なのである。

第四~六章ではソーシャルメディアを利用しての「危険、いじめ、不平等」について述べられている。実際、統計的にはオンライン上での犯罪は可能性が低い。むしろ、現実での悩みを抱える人の逃げ場となっており、若者を助けるために利用しなければいけないとされている。

第七、八章では「リテラシー、パブリック」として、ティーンには大人の影響が大きいことが示されている。デジタルネイティブの時代と言われているが、リテラシーは元々身についているわけではなく、大人も同じで生涯かけて学んでいく必要がある。ティーンは自由が制限されているためにネット上にパブリックを作り出しており、大人はそれを否定したり危険を心配したりするのではなく、複雑な状況を生産的に切り抜けるために協力するべきであるとまとめられている。

本書を読んで、人々はなぜソーシャルメディアを利用し続けているのかは理解することが出来た。自由に動き回れる時間的制約もあるため、気軽にコミュニケーションをとることが出来るオンラインは切っても切り離せない。アプリやサイトが時代によって変わっても、利用する本来の目的は大して変化しないと書かれていた。だが、現代の人々は時間があっても友達が目の前にいてもソーシャルメディアを利用することがある。ティーンだけでなく大人でも同じことで、依存しすぎる前にもう一度自分自身で本来の目的を考えなければ、日常生活に影響を及ぼしかねないと思う。全く別の世界ではなくリアルの延長線上にあるからこそ、ソーシャルメディアと上手く共存していくのは難しく、まだまだ課題は多いのだと感じた。

「つながりっぱなしの日常を生きる ソーシャルメディアが若者にもたらしたもの」ダナ・ボイド(2014)草思社

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