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食品添加物の光と影

 どのようなことにも、絶対の安全は存在しないという前提から、食品添加物の問題点についての私の意見を書きたいと思う。まず、一番かつほぼ唯一の問題点としては、食品添加物が、がんやアレルギーを誘発する危険性があることが挙げられる。しかし、この問題は、食品添加物だけのものなのだろうか。仮に天然の食物を毎日食べていても、一種類の物質の過度な摂取や、暴飲暴食をすれば、がんやその他の病気を誘発する原因になるであろう。薬でさえ、摂取のしすぎは、毒になるのである。逆に、食品添加物を恐れてしまい、食べるものが制限されてしまうことのほうがよっぽど怖いのではないだろうか。よって、私は、はじめに述べたように、絶対的な安全が存在しないがゆえ、食品添加物の危険性があることは否定しないが、それは、優先順位の高いことではなく、その他、食生活や栄養バランスなど、もっと大枠の問題のあとに、議論されるべきことなのではないだろうかと考える。

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食品添加物について

食品添加物について私が思うことは、これを全く摂取しないで生活するには現実的に考えて不可能であり、そのためそれを摂取するか否かという議論はそもそも成り立たないものだと考える。しかしその危険性は常に考慮しなければならず、消費者の口に入るだろうと思われる添加物の危険性をある程度把握する必要があるだろう。加えて言えば、それ単体では安全と思われていても、他の添加物と同時に口にすることでなんらかの障害が発生することも考えられる。こういった起こり得る可能性というのを知る、考える、というのが我々消費者に求められることではないだろうか。

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シェールガスの問題点と是否

 今、日本で起きている脱原発の流れにも合致し、中東や東南アジアなど一部地域に依存を進めている現在の日本のエネルギー情勢の中、シェールガスの普及に対して、完全に反対の人はまずいないと思う。私ももちろん賛成である。そこで、どのような問題点が現に存在し、どう、それと折り合いをつけて普及を進めるべきなのか、について書くことがより建設的だと考える。よって、それらについての意見を下に書こうと思う。  まず、一番に挙げられる問題点は、水資源の汚染であると考える。例え、シェールガスにより、エネルギーが安く手に入るようになっても、人間にとって一番の根源である、水資源がそれに伴い少なくなれば本末転倒であろう。次にあげられる問題点は、資源の過剰消費であると考える。人間とは、資源が有限だとわかっていても、欲望に負け、目先の利益に走ってしまい、どんどん使ってしまうだろう。これは、持続可能な社会から離れていくことになり、長期的にマイナスになると思う。よって、あくまでもシェールガスは一時的な資源と捕え、環境を考慮した限定的な普及をさせていくことが、いいのではないだろうか。長い目で見れば、それが、私たちへの利益を最大化させることなのだと私は思う。

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脳死は死か

 私は、脳死を死と捉えるかどうかの議論で、一番の問題になることは、倫理的な問題、特に、心臓が動いているにも関わらず、死と判断されてしまう可能性があることであると考える。よって、それについての是非を私は書きたいと思う。まず、結論から言うと、私は、心臓が動いている間は例え脳死状態であっても、死とすべきではないと考える。なぜなら、もし、それが死となるのであれば、余命宣告をされた人も同じく死と判断されることになると思うからである。これは、同じ命であるにもかかわらず、人により優劣がつくことになるのではないだろうか。たとえ、本人の意志の有無により前提が多少違ったとしても、人間とは元々生かされている生き物なので、それは問題にはならないはずである。

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クローン人間への賛否

クローン人間を語る際に取り上げられる問題点には、主に生物学的な点と倫理的な点があげられると思う。よって、その二つの点について自分の意見を書きたいと思う。まずは、生物学の点から。私は生物学の点から見たクローン人間には反対である。なぜなら、クローンとして生まれた羊の染色体は、生まれた時点でテロメアがすでに短かかったからである。これは、人間でも同じことが言えるのではないだろうか。生まれた時点で、あらかじめ寿命がある程度決まってしまうことは、公平性の面から問題に感じる。次に、倫理的な面から。私は、倫理的な面からもクローン人間に反対である。なぜなら、上記のような公平性の問題点があげられるからである。これは、動物、人間、両方に当てはまることではないだろうか。よって、私は、クローン人間には反対である。

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電気自動車普及のための課題と対策

 現在、電気自動車には、様々な課題が存在している。その中でも、特に課題として挙げられることが、インフラ不足、充電時間の長さ、価格の高さ、そして電力不足の中での依存の危険性である。よって、それらに対する対策を考える必要がある。今回、私は、それらに対して、商用車、カーシェアリング、プラグインハイブリッドなどによる使用方法の特化での普及を提案したい。まず、商用車やカーシェアリングでの使用は、利用の際に用途が限られやすく、使う頻度も高くなり、採算に乗りやすい。それらは、インフラ不足、そして価格の高さに対する対策になると考えられる。一方、プラグインハイブリッド車は、ガソリンと併用できる。それに伴い、こちらは、電力依存と充電時間の長さに対する対策になると考えられる。上記の通り、自家用車としての電気自動車の利用には、実用的なメリットがないことが明白であるので、これらの利用方法による段階的な普及を進めていくことが、現段階において、最善なのではないだろうか。

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脱原発への道のり

 脱原発により起きる問題点は、主に、原発立地の見返りに補助金をもらっていた自治体の財務の急激な悪化や、それに伴う、地域コミュニティ崩壊の可能性などがあげられる。よって、それらに対する対策を考える必要がある。考えられる対策として、現在被災地などで進めている、特区制度などを利用し、優先的にそれらの地域の産業育成を支援していくこと。そのほかに、物質的な豊かさとは違う他の豊かさの価値観、たとえば、家族、地域コミュニティ、宗教、愛国心など、の育成をすることが可能になれば、脱原発後も持続的な社会を日本全体で作ることができるようになると思う。

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2012年4月19日GD「遺伝子組み換えは是か非か」

1970年代に確立された遺伝子組み換え技術は、1990年代後半から農業作物の品種改良にも応用される様になり、「遺伝子組み換え食品」という言葉ができました。「遺伝子組み換え食品」はフランケン食品と呼ばれ、忌み嫌われる存在ともなり、その余波を受けて遺伝子組み換え技術そのものに対する嫌悪感にも拡大しています。しかし、遺伝子組み換え食品は、遺伝子組み換え作物をそのまま食べるものから、遺伝子組み換えによって作られた食品添加物に至るまで多岐にわたり、どのレベルの食品がどの様なリスクを持っているのか、正しく理解する事で、ある程度の嫌悪感の解消にもつながるはずです。 今回のグループディスカッションでは、「遺伝子組み換え食品」の背後にある遺伝子組み換え技術の把握から始まり、それぞれのレベルにおけるリスク分析を行った上で、各自の許容範囲について論じてみたい。 一方で、多くの先進技術に見られるように、遺伝子組み換え技術が先進国の大手企業によって独占されている現実について、「市場主義」や「グローバリゼーション」に対する反発する立場からの反対意見、或いは人為的に生物を改変することが人間の「環境」への無用な干渉と捕らえる、環境運動家として反対意見などについても、論じてみたい。

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