第二章

第2章 検討対象の整理

2-1. IRの経済効果研究

IR(統合型リゾート)は、カジノを含む多機能型施設として観光振興・地域経済活性化を狙う政策手段として世界的に注目されてきた。理論的には、IRの導入は地域の需要を拡大し、観光消費・雇用・税収を増やす「地域経済波及効果」を生むとされる。観光経済学では、旅行者の支出が建設業、サービス業、交通業などへ波及し、乗数効果によって地域経済を押し上げることが知られている(日本観光学会, 2020)。

日本政府も、IRを観光立国政策の中核として位置づけてきた。2002年に「観光立国宣言」が行われ、2000年代後半からはインバウンド需要拡大を目的とした施策が進められた。IR導入の議論は、特に2010年代に入りシンガポールの成功例が注目を集めたことで本格化する。政府の成長戦略では、IRを「国際競争力を高めるための拠点」として位置づけ、外国人観光客増加、雇用創出、地域再生といった多面的効果を期待した(内閣府, 2016)。

研究レベルでも、IR導入による経済効果を分析する試みが行われている。例えば、観光収入や雇用への貢献、税収増加といった定量的分析に加え、都市ブランドや国際会議誘致など非金銭的効果も注目されている。経済産業研究所(2018)の試算では、大阪IRの建設・運営による経済波及効果は年間約1兆円に達し、雇用創出効果は約9万人規模とされた。ただし、こうした推計は前提条件に左右されやすく、長期的な収益の安定性や社会的コスト(依存症・治安悪化)を考慮すると、過度な楽観は危険であるという指摘も多い。


2-2. 海外の主要事例

(1)シンガポール

シンガポールは、IR政策の「成功例」として世界的に知られている。政府は2004年にカジノ合法化を決定し、2010年に「マリーナベイ・サンズ」と「リゾート・ワールド・セントーサ」の2施設が開業した。開業から数年で観光客数は約2倍の1,300万人を突破し、GDPへの寄与度も顕著だった(Singapore Tourism Board, 2015)。IR関連産業だけで約9万人の雇用を創出し、観光消費を牽引したとされる。

しかし、経済的成功の裏で社会的課題も浮き彫りになった。カジノ依存症の増加を懸念した政府は、シンガポール国民と永住者に対して入場料を課す制度を導入し、1日150シンガポールドル(約1万5千円)の支払いを義務づけた。これにより、地元住民の利用を一定程度抑制し、観光客中心のカジノ利用を促す仕組みを整えた。このような「依存症対策の制度設計」が成功の大きな要因の一つとされ、日本の議論にも影響を与えた。

シンガポールの事例は、「カジノを地域経済の中心に置きながら、社会的リスクを制度的に管理する」モデルとして評価されている。一方で、観光需要の一時的な集中や新型コロナウイルスの影響など、外的要因によるリスクにも直面しており、安定的な成長維持が課題となっている。


(2)ラスベガス

ラスベガスは、IRの原型ともいえる都市であり、長年にわたり世界最大級のエンターテインメント産業を築いてきた。20世紀後半には「カジノ都市」として成長したが、1990年代以降は娯楽・ショッピング・コンベンションを融合させた総合観光都市へと転換を遂げた。この「脱カジノ依存」の方向転換こそが、ラスベガス成功の鍵である。

ラスベガス観光局(LVCVA, 2020)によると、現在の観光収入のうちカジノ収益が占める割合は約35%にまで低下し、残りはホテル・ショー・MICE関連事業が主軸となっている。これは、カジノが都市の主役でなく「入り口の一つ」に過ぎないという構造変化を意味する。また、家族連れやビジネス客を取り込むために「非ギャンブル型の娯楽都市」としてのブランドを確立し、観光産業の多角化に成功した。

このモデルは、日本にとっても示唆的である。IRを単なるカジノ施設としてではなく、「観光・文化・地域資源との融合拠点」として構想することが、長期的な成功の鍵となる。ラスベガスの経験は、依存症リスクの軽減と持続的な集客の両立という点で、政策設計に多くの示唆を与えている。


2-3. 日本のギャンブル市場研究

日本には、すでに多様なギャンブル市場が存在している。代表的なものは、公営競技(競馬・競輪・競艇・オートレース)とパチンコ・パチスロ産業である。これらの市場は長い歴史を持ち、地域経済や雇用に一定の貢献をしてきたが、同時に依存症や人口減少に伴う需要縮小といった課題にも直面している。

まず、公営競技の総売上は約6兆円規模(2023年、日本中央競馬会・地方競馬全国協会等の統計による)で、安定したファン層を維持している。公営競技は、売上の一部を自治体財源や社会福祉事業に還元する仕組みを持ち、地域に還元される点が特徴である。近年はオンライン投票やデジタル配信の導入により、コロナ禍でも売上を維持・回復した事例もある。

次に、パチンコ・パチスロ産業は、長らく日本最大の娯楽産業として存在してきた。ピーク時(1990年代)は市場規模が約30兆円を超えていたが、近年では規制強化や利用者減少の影響により、2023年時点で約15兆7,000億円まで縮小している(日本生産性本部, 2023)。遊技人口は約660万人と減少傾向にあるが、依然として雇用規模は約20万人を超え、地域経済に一定の存在感を持つ。また、近年はホールの複合化(飲食・イベント・休憩施設併設)が進み、「地域密着型の小規模IR」としての機能も見られる。

このように、日本のギャンブル市場はすでに巨大な経済圏を形成しており、IRの導入は新市場の創出というより「既存市場との再配置」として捉えるべき側面がある。特に依存症問題については、既存ギャンブルとの関係性を考慮した包括的な対策が求められている。


2-4. 日本のIR政策と現状

日本におけるIR導入の動きは、2016年の「IR推進法」成立によって正式にスタートした。その後、2018年の「IR整備法」で具体的な制度設計が定められ、最大3か所の区域で整備が認められることとなった。国土交通省と内閣府が主導し、地方自治体と事業者が共同で整備計画を提出する「公募・選定方式」が採用された。

最初に本格的な計画を進めたのが大阪府・市である。大阪IR構想は、2025年の大阪・関西万博との連携を軸に掲げており、開業目標は2029年としている。運営事業者にはMGMリゾーツとオリックスが選定され、総事業費は約1.27兆円にのぼる予定である。大阪府の試算では、年間約2,000万人の来場者と1兆円規模の経済波及効果が見込まれており、関西圏の観光拠点としての期待が高まっている。

一方で、横浜や長崎など他地域の計画は住民反対や財政的課題により停滞・撤退が相次いだ。こうした背景には、依存症や治安悪化への懸念に加え、地域がIRの経済効果をどのように享受できるかという「地元利益の不透明さ」もある。さらに、海外資本への依存度が高い点や、国内企業がIR運営ノウハウを十分に持っていない点も課題とされている。

今後の日本型IRは、シンガポールのように社会的リスク管理を徹底しつつ、ラスベガスのような「脱カジノ依存型モデル」へ発展できるかが鍵となる。そのためには、地域の観光資源や既存の娯楽産業との連携を重視した、持続可能なIR運営の在り方が求められている。


まとめ

本章では、IRの経済効果研究、海外の主要事例、日本のギャンブル市場の現状、そして国内IR政策の動向を整理した。これらの検討から明らかになるのは、IRが単なる経済施策ではなく、「既存市場と社会リスクをどう共存させるか」を問う総合政策であるという点である。次章では、これらの知見を踏まえ、日本におけるIRと既存ギャンブル市場の関係性をデータ分析により明らかにし、「日本型IR」としての共存の可能性を探る。

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