この研究は、Bardhi&Eckhardt(2017)の「リキッド消費」の概念をもとに、デジタル社会におけるブランド戦略を広い視点から検討するもの、としている。
Kubota(2020)の先行研究を踏まえ、リキッド消費と社会の液状化現象を消費行動の観点から再考し、それに対応するブランド戦略のあり方を探る。つまり、「リキッド消費が進む中で企業や組織が取るべきブランド戦略の方向性を俯瞰的に検討すること」が本研究の目的である。
I.リキッド社会におけるブランド消費
1.リキッド消費環境におけるブランド消費傾向
はじめに、筆者はリキッド消費の特性(短命性、アクセスベース、脱物質)について説明している。(ここでは割愛する)また、リキッド消費がブランド消費行動において①使用価値の重視や使用価値志向の行動、②量的な意味での物質主義の強まり、③活発なブランド遷移、④占有志向の弱まり、⑤ロイヤルティとコミットメントの希薄化、⑥不即不離の関係、⑦流動的な愛着、⑧コミュニティの変化といったことが重要になると述べている。
2.文脈への適合と消費の手軽さがもたらす心地よさ
本節は、リキッド消費環境において、消費者はその時々の文脈に応じて最適なブランドを消費していくという書き出しに始まる。
これまで重視されてきた「象徴的価値」や「自己とブランドの結び付き」などの要素の影響が小さいものとなり、より実用的で大きな効用をもたらす変化に富んだ消費を、消費者はするようになる訳だ。そんな中で、マーケターは流動的なニーズに適切に対応することとなる。文脈に応じて製品・サービスを変化させたり、選択や購買に関する消費者の労力を低減させることで、「より大きな効用をもたらす変化に富んだ消費」を実現する。
リキッド消費を前提としたブランド・マーケティングでは、文脈への適合とブランド消費の手軽さがポイントだという。これらが消費者に与える快適性、心地よさは、リキッド消費に対応したブランド戦略の鍵であると、筆者は考えている。
3.2つの戦略
前項の文章(文脈、というと紛らわしい為変えてあるが、その意である)を踏まえると、「裾野を広げる」と「生活の中に溶け込む」という2つの戦略を導き出せるのだそうだ。
裾野を広げる戦略というのは、リキッド消費環境において起こりがちなブランド・スイッチング傾向を肯定的に捉えた上で、より多くの消費者を自社ブランドのユーザーとして獲得する戦略。
一方で生活の中に溶け込む戦略というのは、必要な時に必要なものを提供し、消費者の日常を形作る存在となる戦略。
これらはそれぞれ、「心地よい取引」を武器にした広い範囲から消費者を取り込もうとする「幅」の戦略と、「心地よい関係」を武器として顧客との関係を深化させる「深さ」の戦略だといえる。
1つ目は従来のブランド戦略の応用だが、2つ目の生活に溶け込む戦略はこれまでのものとは趣を異にするものであるようだ。
II.裾野を広げる
1.戦略の概要
ブランド・スイッチングを前提とした、裾野を広げる戦略では、いわゆるロイヤル・ユーザーだけでなく、購買額や購買頻度が低い顧客にも目を向けなければならない。その為には、消費者にとって手軽で買いやすい状態を提供して、「心地よい取引」をしてもらうのが重要。
この戦略の背後には、Ehrenbergが指摘した「ダブル・ジョパディ」という経験的法則が理論的基盤として存在している。多くの市場データの分析から、市場シェアの高いブランドは市場浸透率(その市場を構成する人々の中で、ある一定期間内に1度でもそのブランドを購入したことがある人の割合)が高く、購買頻度もやや高い傾向にあるが、市場シェアの低いブランドは顧客の少なさとロイヤルティの弱さ(低購買頻度)という二重苦(Double Jeopardy)を背負っている、というのが指摘の内容である。
ダブル・ジョパディは、市場に「極めて類似する」「同等のメリット」を持つようなブランドが複数存在し、大半の消費者は同じようなブランドでも知名度の高いものを選好する為に発生するという。
こうして市場シェアの低いブランドは市場浸透率も購買頻度も低いものとなる訳だが、これまでの研究や調査により、購買頻度の差については、実際僅かであることが分かっているようだ。その為、ダブル・ジョパディを考慮した議論においては、大きなブランドを目指すのならば、市場浸透率を高めるべきだという結論に辿り着くのが一般的だという。
ここまでの説明から、ダブル・ジョパディの考え方は、リキッド消費の示唆する購買行動によく当てはまるものであることが分かる、と筆者は述べる。また、手軽で買いやすい状態を提供することで、自社ブランドのユーザーを多く獲得しようとする戦略が導けるようだ。また、この裾野を広げる戦略には、さらに3つの下位戦術が考えられるという。
2.戦術1:選択・購買・使用を容易にする
第1の戦術は、つまりその場に応じた価値(とりわけ使用価値)を、簡単に選び、手に入れ、使えるようにすることを意味している。より多くの消費者を自社ブランドのユーザーとして取り込む為には、いわゆるライト・ユーザーにも目を向ける必要があるため、こうした工夫はとても大切だという。
第1の戦術の要点となるのが、「ブランドの意味のわかりやすさ」である。ブランドの意味が分かりやすくなると、知識や動機づけが十分でなくとも、その場のニーズにフィットしたブランドを選びやすくなる。
もうひとつ要点となるのが、「手続きの容易さ」だ。例えば発注、支払、配送の手続きを自動化したり、省力化したりすることは手続きの容易さにつながる。
筆者は最後に、「安心感」を高めることも大切だと付け加えている。
3.戦術2:消費者が多様性を楽しめるようにする
これは文脈に合わせて最適なブランドを消費したいという、バラエティを求める移り気な消費者へのアプローチである。
この第2の戦術を実践する方法は少なくとも2つある。1つは特定のブランドを使用し続けながら、新製品やリニューアルによって変化に富んだ消費を経験できるようにする方法。もう1つは、積極的にバラエティ・シーキング行動を支援する方法で、この場合ブランド・ポートフォリオを充実させることで、自社ブランド内を回遊してもらうような仕組みが有効となる。
4.戦術3:非能動的な選択を促す
いわば、「コカ・コーラ」でも他のジュースでも良い時に、「コカ・コーラ」を選んでもらえる確率を高める戦術だ。
リキッド消費環境では、実用的なベネフィットに重点が置かれ、多くのブランドのコモディティ化が促されることになり、深く考えずに買ってみるといった行動が多くなる。
非能動的な選択の1つは、たまたま買ったというような偶発的な選択。このタイプの戦術の鍵となるのが、ブランド認知と「セイリエンス(顕現性)」を高めることだという。
非能動的な選択には、無意識的あるいは習慣的な選択もある。こういったことは珍しくなく、無意識的な選択を促すなら、感覚マーケティングや選択アーキテクチャの研究が参考となる。
III.生活の中に溶け込む
1.戦略の概要
第1の戦略が個人との相互作用を前提としないものであるのに対して、第2の戦略は相互作用によって、顧客一人一人を理解し、パーソナライズされた対応をしようとするもの。そこでは、消費者の求めるものを察し、ブランド側が自ら柔軟に対応することで、生活の中での接点を増やす。そして消費者の生活になじみ、一体になろうとすることから、「生活の中に溶け込む」戦略と言えるようだ。
これの具体例として、筆者はAppleなどのエコシステム型ブランド、Amazonなどの生活を多面的に支える小売・サービスブランドを挙げている。
2.価値へのアクセスシステム
生活の中に溶け込んだブランドの強みは、離反することを忘れてしまう心地良さにあるという。それにより、消費者はいつの間にか継続して利用したり、自然と買い続けてしまうことになる。
このようなブランドのあり方は、リレーションシップ・マーケティングの理論的構図と一致する。その基本ロジックの1つは、関係的資源と関係的契約によって計算的コミットメントを高め、長期的かつ安定的な関係を維持することにある。
かつて、リレーションシップ・マーケティングのロジックを消費者ブランドに適用出来るのは、顧客と直接接触できる小規模の対面サービスに限られていたが、デジタル化の進展によるネットワークの普及が要因となって、メーカーや大規模サービス業にも適用出来るようになった。
もうひとつ重要なこととして、リレーションシップ・マーケティングとブランド・マーケティングの類似性があるそうだ。リレーションシップ・マーケティングは、信頼されることで友好的で持続的な関係を顧客との間に構築しようとする。リレーションシップ・マーケティングは、あくまで製品やサービスを提供する行為者のパフォーマンスに焦点を合わせるという訳だ。
この基本発想のポイントは、製品やサービスそのものが変化しても、取引を継続しやすくする部分にある。そしてブランド・マーケティングも同様に「このブランドなら信頼できる」と認識されることで、製品やサービスが変わっても安定して売れる環境を形成する。以上のように、上述のいずれのマーケティングも、製品やサービスを超えた次元で取引の見込みを高めようとするもので、「期待と可能性のマーケティング」であるという点で一致している。
ここまでの話を踏まえると、生活の中に溶け込むという戦略の本質は、「関係的資源と関係的契約を組み合わせることで、顧客に自動的に満足が提供されるようにすること」だといえる。そして、こうした自動化された満足の提供により、ブランドは「価値へのアクセス・システム」として認識されることになる。
3.消費者─オブジェクト集合体
顧客に対し、包括的な満足を提供する為には、それぞれのブランドで独自に対応するよりも、複数のブランドで連携した方が有効かもしれないと、筆者はここで述べる。
これまでのブランド論では、消費者を起点とした特定のブランドとの関係を記述することが多かった。しかしデジタル化の進展により、ブランドが自律的に振る舞い、様々なブランドが連携し合うことも多くなってきた。
こうした大きな流れを踏まえ、Hoffman & Novakは、Delandaによる集合体の理論をベースにし、「消費者─オブジェクト集合体」という考え方を提示している。彼女らは、IoT化によって実現する、いわゆる「スマート・オブジェクト」について、生き物と同類の存在物であると主張する。また、モノが一定の自律性をもつようになり、自らの外部と相互作用を展開するようになるなら、「伝統的な人間中心の考え方では、消費者IoT経験を概念化するのに十分ではない」と主張する。こうして提案されるフレームワークが、消費者─オブジェクト集合体である。
オブジェクト集合体において、人間は「消費者」
と呼ばれ、人間以外の存在は「オブジェクト」と呼ばれる。この中で、消費者は様々な経験をすることになるが、そこにおける経験とは、昨今のマーケティング領域で言われるそれとは異なる。消費者経験を反応として捉え、消費者を様々な刺激の受け手と解釈する一般的な傾向を批判し、消費者経験とは本来、創発的なものであると主張している。
消費者─オブジェクト集合体は、非人間的フレームワークであり、そこには①消費者とオブジェクトとの間で展開される、消費者中心的な部分間相互作用、②消費者と集合体との間で展開される消費者中心的な部分─全体相互作用、③オブジェクトとオブジェクトの間で展開される非消費者中心的な部分間相互作用、④オブジェクトと集合体との間で展開される、非消費者中心的な部分─全体相互作用が組み込まれている。
消費者─オブジェクト集合体というフレームワークでは、様々な要素が相互に作用しており、それらが互いに影響を及ぼしあっていると考える。
4.消費者─オブジェクト集合体の有効性
2つ目の戦略において、この考え方を用いるメリットは2つあるようだ。1つは、複数ブランドが連携した方が、より効果的にブランド・エクティを構築・維持できること。2つ目は、マーケターが行う消費者との関係作りについて考えるのに役立つこと。
(1)ブランド・エクティの構築と維持
はじめに第1のメリットについて説明している。消費者─オブジェクト集合体はロイヤルティや愛着の形成を促進する可能性がある為、消費者─オブジェクト集合体の構成要素となることは、ブランド・エクティの構築や維持に役立つ可能性があるということだ。
不可欠性とロイヤルティ
Hoffman & Novakらは、消費者が様々な製品を集合体のなかで積極的に使用し続け、それと相互作用を繰り返すうちに、その集合体に対して不可欠性を抱くようになると指摘している。
愛着や関係性の構築
消費者が集合体の中で相互作用を繰り返すうちに、自己拡張と自己拡大が見られるようになるとも述べている。これらはkubotaが論じるブランドとの同一化ないしは愛着の形成メカニズムとほぼ同じであり、リキッド消費環境における、ブランド・リレーションシップの1つの形を示している。
(2)消費者との関係や経験の検討
消費者─オブジェクト集合体は、マーケターが、リキッド消費環境において消費者との間にどんな関係を構築するかを考えるツールとしても効果を発揮する。
ここで、筆者はブランドへのロイヤルティやリレーションシップの基盤となる関係的ジャーニーのデザインという例や、どんな消費経験を展開するべきかを検討するツールとして消費者─オブジェクト集合体を捉えた場合の柔軟な視点の提供という機能などについて触れ、消費者─オブジェクト集合体という考え方を用いるメリットを紹介している。
(3)消費者─オブジェクト集合体の有効性と難しさ
ここまで、筆者は消費者─オブジェクト集合体が、消費者の生活に溶け込む戦略において包括的に役に立つことを指摘してきたが、ブランド戦略の策定者が、価値へのアクセスシステムを設計する上では、複雑かつ不確実なものであるという点から、こうした考え方を取り込むのは容易ではないとした。とはいえ、やはり集合体的な発想をすることや、消費者─オブジェクト集合体のフレームワークそのものは、ブランド戦略を考える上で有用であると意見している。
【むすび】
この項では、前半は論文の内容を簡潔にまとめ直した要約をしている。(これに関しては、これ以上は縮められないと判断した為に割愛。よくまとまっている為、元の文章を参照して欲しい)
後半では、筆者の持論が語られている。まず、リキッド消費を前提としたブランド戦略を検討してきたが、全てがリキッドに向かう訳でなく、対照的なソリッド消費も残ることを忘れてはならないということ。物質的な消費主義者の存在や、リキッド消費の流動性が持つ、個人化の脆弱性を弱めるリスクと不確実性などから、今後リキッド消費が敬遠される可能性も十分にあるということ。
したがって、リキッド消費はあくまで消費のシフトでなく、拡張であると理解するのは極めて重要だと、筆者は強調している。
参:久保田 進彦、『デジタル社会におけるブランド戦略― リキッド消費に基づく提案 ―』、
https://www.jstage.jst.go.jp/article/marketing/39/3/39_2020.008/_pdf/-char/ja