【はじめに】
昨今の消費及びそれに関連する活動は、PC・スマホなどの通信デバイスによって、オンラインで行われるようになってきたことについて触れる。この消費プロセスの浸透については、1990年代以降から動きがあったが、特にコロナ禍での生活様式の変遷により、一層それが加速したと説明。
AIやIoTなど画期的なデジタル技術の登場、デジタル・インフラの整備等、生活や社会のあらゆる領域での「デジタル化」が進展していく中で、消費者が何をどのように求めるのかが劇的に変化している、と筆者は述べる。
また、デジタル化は利用やアクセスを重視できる消費環境を構築した為、これまでの消費(=ソリッド消費)の特徴だった所有感覚や物質主義という基盤を揺るがしている。これまでその基盤の上で議論されてきた、消費社会学的研究である、「顕示的消費」、「記号消費」、「消費者のアイデンティティ形成」、「プロシューマー」、「マクドナルド化」などの概念は再考されなければならないとしている。
本論文では、第1に「拡張自己」(Belk/2013)、「リキッド消費」(Bardhi and Eckhardt/2017)、そして「マクドナルド化」(Ritzer and Miles/2019)という3つの先行研究の整理を行い、第2にこれらを消費プロセスの中に位置付けた上で、デジタル化の影響を考察する。第3に、以上の結果を踏まえた上で、今後の研究においての課題について提案を行うとしている。
【拡張自己】
筆者は、Belkがインターネットが普及する前に提唱した拡張自己の概念を、デジタル化が進む現在に適応させたと説明する。拡張自己を捉え直す為に、Belkは「脱物質化」、「再具現化」、「共有」、「自己の共構築」、「分散記憶」という5つを、デジタル化における重要な変化としており、元の概念に考察を加えているようだ。
「脱物質化」は、所有物がモノの形を取らなくなること。紙やCD、DVDなどの記録メディアが必要だったものや、ゲームの中の実在しない所有物(売買の対象にもなる)などが該当する。
「再具現化」は、SNSやゲームなど、視覚的に表現されるオンライン環境において、具体的に自己を提示できるということ。かつては自分に付随するモノ(服や髪型や車など)を変えることでのみ表現していたアイデンティティが、より自由に簡単に操作され、使い分けることする出来るという。
「共有」は、SNS、掲示板、YouTubeなど誰もが参加して簡単に情報を発信できるWebサービスの爆発的な増加を示している。多くの人に自己顕示が出来るが、自己イメージのコントロールが困難になることもある。
「自己の共構築」とは、他者との相互作用により、自己が共同で構築されることである。SNSユーザーは、その特性から他者からの承認や自己肯定感を追求するようになる。
「分散記憶」とは、様々なデジタル・ツールの発展により、自伝的な記憶や思い出がほぼ無限に蓄積でき、かつそれらを自由に取り出せること。かつては、所有物に過去の記憶が埋め込まれているとされてきたが、今では写真やツイートなどの形で、PCやスマートフォンなどに分散して保存されている。
結論として、従来の拡張自己概念がデジタル世界においても有効であることだけでなく、むしろ新たなデジタル製品・サービスの登場により、事故拡張の手段が飛躍したと主張されている。他方で、仮想所有物と物的所有物では自己拡張の効果の強弱が異なるという指摘もある。
ただし、これらの議論は、基本的には情報財や情報コンテンツの消費に限るものというのを留意しなければならないと、筆者は述べている。とはいえ、デジタル化は従来からあるモノやサービスと消費者との関係性も変化させており、その点を補足するのが、次項で触れる「リキッド消費論」である。
【リキッド消費】
ここで筆者はバウマンのリキッド・モダニティ論から着想を得た、「リキッド消費」の概念について説明する。
この辺りは前回紹介した論文でも触れた部分なので、かなり大幅に省くが、前半では「リキッド消費」は「短命性、アクセスベース、脱物質化」という特性を持ち、「永続的、所有権ベース、物質的」という特性を持つ「ソリッド消費」と対極をなすものであると説明し、それらの深堀りを行っている。後半では、リキッド消費論は「ソリッド消費からリキッド消費への移行」が主張されている訳ではなく、それらを両極としたスペクトラムが想定されているとしている。消費がそのスペクトラム上、ソリッドとリキッドいずれの特徴を強めるかどうかは、4つの条件(消費者のアイデンティティ、社会関係の性質、モビリティ・ネットワークへのアクセシビリティ、不安定性)に影響されているとし、以降具体的にはどのような条件、状況においてどんな消費が選考されるかという考察に移っている。(これも前回紹介したものと被る部分なので割愛する。)
【マクドナルド化】
ここでは、Ritzerがデジタル化の影響も考慮して、マクドナルド化論の更新を試みたことについて触れている。
そもそも「マクドナルド化」とは、「効率性」、「計算可能性」、「予測可能性」、「制御」といった、「ファスト・フードレストランの諸原理がアメリカ社会及び他の世界の国々のますます多くの部門を支配するようになる過程」であるという。つまり、数量化や画一化、機械化などの合理的な経営原理が、教育や医療などの他分野まで広く浸透していく様態を明らかにしたものである。この議論ではマクドナルド化の進展を、「合理性の非合理性」をもたらすものとして批判的に捉えることが重要視されている。
当初、マクドナルド化論にはあまりデジタル化の要素は含まれていなかったが、次第に時代の変化として取り込まれることになり、Ritzerもデジタル化は「マクドナルド化の激化」をもたらすという意見を述べるようになったそうだ。
Ritzerはその具体例として、AmazonやWalmartなどの大型通販システム、Uberなどのシェアリング・エコノミー、Googleなどの一般プラットフォーム等々、様々な領域でいかに「効率的」に物事が処理され、注文プロセスなどにおいて「予測可能性」や「計算可能性」が高く示され、規範を逸れないように「制御」されているかを語る。
また、Ritzerはリキッド消費/ソリッド消費の概念についても触れており、「消費の場」に着目する彼の研究においては、実店舗=ソリッド、オンライン店舗=リキッドという図式が採用されているものの、オンラインで注文し、実物は実店舗で受け取るというような中間形態が現在では多く見られるという。
Ritzerは、そんな双方の技術が相互浸透して生まれた中間的な形態を「AR」(拡張現実)と表現しているようだ。これは、通常の技術的な意味合いよりも広範な意味として用いられている。Jurgensonは「デジタル二元論」(現実とデジタルを別のものと捉えること)を誤謬として、その相互に影響し合う現在の状況を表す枠組みとして「拡張現実」としたが、正にその用法に倣ったものである。
筆者の意見として、以上の議論は単にECサイトやアプリにマクドナルド化論を適用したというのでなく、デジタル・プラットフォームの重要性に着目している点が評価されるべきであると述べている。
デジタル・プラットフォームとは、インターネットを介してやり取りする企業とユーザーとの相互作用を促進するサービスと解釈できる。検索エンジンやSNSなど、多くの現代人にとっては生活の一部となっているものだ。世界中の業者や個人と、多種多様なものを売買、貸し借り、コミュニケーションが出来るようになり、個々人の趣味嗜好に沿う製品やサービスを得られるようになったのは、正にデジタル・プラットフォームの発展とマッチングの結果だという。
【考察】
「消費プロセスのデジタル化」
本論文で取り上げた、拡張自己論、リキッド消費論、マクドナルド化論は、それぞれ電子化された情報財、それ以外のモノ・サービス、「消費の場」に対するデジタル化の影響にアプローチした議論であると捉え直すことが出来る。
筆者は、以上の議論を消費プロセスの中に位置付け、各段階におけるデジタル化の影響の定式化ができるとしている。(論文内では図式を用いて詳しく説明している。)
「消費文化論への示唆」
この項では、上記の定式化を踏まえて、デジタル化時代の消費文化について今後実証的に研究されるべき点をいくつか提案するとしている。
研究課題は多く、例えば、フェイクニュースの拡散や差別・ヘイトの先鋭化、監視とプライバシーの問題、デジタル詐欺などによる消費者問題の増加などがあるとするが、ここでは消費文化にもたらされる観点から互いに関連する論点を取り上げている。
第1に脱物質化、アクセス・ベース化は人々の所有感覚に大きな変化をもたらす可能性があるという。
第2に、物質主義の盛衰も検討課題となるようだ。どの議論においても、脱物質化は重要な構成要素だったが、それは必ずしも脱物質主義的な価値観の浸透を意味するわけではないということである。物質主義の衰退どころか、助長する可能性すらあると述べる。
第3に、持続可能性、とりわけ環境問題へのインパクトも重要である。単純にデジタル化を進めれば環境問題が低減するという訳でなく、デジタル消費の環境負荷については、データの「再物質化」が容易である点なども考慮しなければならず、複雑な問題とされている。
第4に、消費者のアイデンティティ自己呈示、顕示的消費や記号消費の方向性についての検討も要するとされる。顕示的消費については、議論する人によって見解が異なり、一貫したアイデンティティの構築が難しい(Bardhi and Eckhart)と言う論者と、仮想所有物でも消費者は愛着を感じうる(Belk)と言う論者がいるようだ。
記号消費も、所有物を他人に直接見せるのでなく、SNSを介して表現するものに変化してきている。SNSによって記号消費の新たな可能性が開かれたと言えるが、消費を伴わない自己顕示が可能になったことで、消費による自己顕示やアイデンティティの構築が衰退する可能性がある。
第5に、Ritzer and MilesはAmazonのもたらす「合理性の非合理性」として過剰消費の促進を挙げていた。意思決定の安易化、買い物のプロセスの簡略化によるものである。これについても賛否の意見がある為、総合的に検討する必要があるとされる。
第6に、プロシューマーの変容である。プロシューマーとはTofferの造語であり、自分が消費する財やサービスを生産する消費者のことである。具体例としては、組み立て製品や自宅検査キットなどが挙げられるが、インターネットの発展と共に、より広範な活動を指す概念として用いられるようになっている。
出典:デジタル化時代の消費文化
https://www.jstage.jst.go.jp/article/soes/44/0/44_102/_pdf/-char/ja