書評「日本の問題は文系にある なぜ日本からイノベーションが途絶えたのか」

著者である山本尚氏は京都大学卒業後、ハーバード大学院を経て、様々な大学研究室を転々としたのち、現在中部大学のペプチド研究センターのセンター長となっている。ノーベル化学賞の候補者でもある山本氏は本著で日本のイノベーションが途絶えた理由を大学の教育環境と日本の研究体制の二点を大きく挙げて論述している。

第一章 私の破壊的イノベーション

本章は筆者の今までの経歴の紹介と共に、破壊的イノベーションの必要性と研究費の審査の問題について触れている。破壊的イノベーションとは市場が新たに作り替わるような革新のことを指し、今現在は技術革新のスピードが向上したことにより「破壊的イノベーションか、死か」という領域に入っているという。この状況はもう一つの持続的イノベーションが得意であった日本にとっては危機的状況であるという。また破壊的なイノベーションを生み出す研究にお金を投資する嗅覚が今の省庁には無いため、「異質の香り」をかぎ分けられる優秀な科学者が審査側に必要であるとした。

第二章 日本人はもっと感動すればいい

本章では米国の自由な感性を鍛える方法を例示して、それと対象である日本の環境を批判している。また日本に過去会ったイノベーションを例示して、そこからの学びを論述している。米国では教育課程とプレゼンは表裏一体であるという。成長していく中で何度もプレゼンを行っていくことで、各個人の提案がより革新的で多くの人間の同意を得るためにはどうしたらよいかという思考方法が常となる。集団主義的な日本ではこの感性は育たないため、個人主義の考え方が必要であると述べている。また日本人が過去行ってきた海外から入ってきたものをまねてから、自己流に改造していくという漢字や鉄に見られたイノベーションの方法を日本文化と結び付けて我が国固有のものであるとし、この文化を大切にしていくことに勝機があると論じていた。

第三章 問題は文系にある

本章では大学の研究や講義の問題点を軸にイノベーションが生まれない理由を論じている。その一つの例が講座制である。講座制により准教授や助教が専任教授から独立した研究をできていないのだ。博士課程を終えた未来を担う若い研究者に思い通りの創造の道を歩ませる力が、講座制廃止にあるという。また文系の官僚にも問題があるという。文系の官僚がなんとなしに決めている習得単位や学生数などが教官の研究時間を奪いイノベーションを阻んでいるのだ。日本の大学教官が研究に割ける時間は20%以下で、米国の50%以上とは格段の差がある。大学発のイノベーションを目指すためには教育義務や事務書類にメスを入れる必要があるのだ。さらに文系の起こすイノベーションについても触れられていた。イノベーションというと技術革新が主だと思われがちだが、新たな考え方から大きな価値を生み出す社会変化もイノベーションといえると筆者は言う。しかしこの文系のイノベーションは日本ではほとんど見られない。その理由は日本の文系の学生の意欲の少なさだ。理系の学生に比べ、文系の学生は本を読まず、また読むことはあっても研究のために膨大な本を読むことは限られると筆者は述べていた。この問題の解決のためには「哲学」が必要だという。先人の考え方を知ることで、新たな考え方の切り口を作り上げることができる。この考え方の転換こそイノベーションの思考法なのだ。

第四章「学術会議」はいらない

本章では一時イノベーションの話題から少し離れ、一時話題になった菅政権の学術会議問題に関して言及している。日本の学術会議は税金で運営しているもので日本の政治の影響を大きく受けてしまう。しかし米国の学術会議に当たる全米アカデミーズでは、各々が出資をして参加している。この政府から独立した組織は、日本と違い大きな力を持つ。一つの提言に日本とは異なる緊張感が生まれるのである。この緊張感の有無こそが科学技術政策の決定に大きな影響を与えるのだ。だからこそ、日本には学術会議は必要なく、政府から独立した新たな科学者による組織が必要なのだ。

第五章 イノベーションは感動である

本章ではイノベーションを起こした人物のエピソードと筆者が思う創発に必要な要素の紹介となっている。筆者はノーベル賞を受賞した人物や印象に残った人物を列挙したのち、その人たちは何かしらの唯一無二性と破天荒さがあるとした。また筆者は創発に必要な要素としてボーっとすることを挙げた。問題に対して集中することは良いことだが、脳の一部を使っていないため、画一的な考えになりがちである。そこでボーっとすることにより、脳全体を使う非集中状態になり、脳を本当に活用できるようになる。この状態になった時こそ素晴らしいアイデアが生まれやすいのだ。だからこそ創発にはあえてボーっとすることが必要なのだ。

第六章 日本はやはり集団主義がいい

本章では破壊的イノベーションを起こすのは個人主義だと前提を置いたうえで、日本が持つ集団主義の良さと米国に干渉されて集団主義を捨てようとしたことの弊害について述べられている。集団主義はプロジェクトを進めていく能力に長けているという。それは一致団結して成果を出そうとするからだ。故に筆者は集団主義の中に少しの個人主義がハイブリットされているのがイノベーションに最も適しているとした。一個人の際立った研究者を中心として、様々な集団が力強く成果を育てる。つまり発想は個人主義、完成は集団主義という役割分担こそが重要であり、日本という土壌はその役割分担が適しているのである。

第七章 日本型イノベーションのために

本章では集団主義の欠陥についてイノベーションに交えて述べられている。具体的には、「リスク・フリー」社会と突出した個人の排斥の二つだ。「リスク・フリー」社会とは危険を予測し、注意深く避けようとする社会のことを指す。この性質のおかげで安全に過ごせているのは事実であるが、リスクも大きい。それは企業や政府の思い切った施策の有無である。思い切った行動ができない集団は、すべての行動が手遅れになることが常である。我々はリターンを得るために、リスクを取ることにためらいがあってはいけないのだ。また集団主義では、非がある個人への攻撃はとても厳しく重い。それは「道理」という概念が存在するからだ。この見えない「道理」に縛られ、個人主義の人が自分の意見を言えずに窮屈そうにしている状況は現在の日本でよく散見される。しかし個人主義の破天荒なアイデアが無ければ破壊的イノベーションは生まれない。だからこそ現在の日本では個人主義と集団主義が共存できるような制度作りが必要であるし、日本の若い研究者は現状の制度にとらわれず自由な発想で、イノベーションの実現を目指すべきである。

 

前回の書評の際に先生が理系の学生や教授の待遇についておっしゃっていったので、その問題とイノベーションを掛け合わせた本の書評を行った。前回の書評では文系の学生や研究者が「共鳴」できる場所が必要であると論じていたが、本著では極端に言うと文系、特に政府の文官は理系の研究の邪魔をするなという内容だった。ここまで大きな差があることに驚きはあったが、私的にはこっちの意見の方が理系の学生が研究できる環境の整備に注力されることを考えるとよいものだと思う。今回の書評では理系人材の育成的な視点からイノベーションを見ることができたので、次回は文系のイノベーションについても注目していきたいと思う。

産経新聞出版 日本の問題は文系にある なぜ日本からイノベーションが消えたのか

著者 山本尚 2022年2月23日 初版発行

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