書評「幸福な監視国家・中国」

本書は現代中国の監視社会をめぐる日本国内のやや偏った見方に一石を投じるため梶谷懐氏と高口康太氏が現在の中国で起きていることを多角的に掘り下げたものだ。スーパーアプリや監視カメラを用いて個人情報を収集するのは中国にとっては当たり前だ。これを監視社会として日本とは遠い世界と捉えるのではなく、日本も同様の問題に直面すると著者たちは述べている。
本書の第一章から第四章では中国社会におけるテクノロジーを実装することが社会に与えた変化を解説している。中国ではテクノロジーへの信用が高く、米企業による調査では27カ国で1位だった。ECの利便性や、監視カメラによって実現した犯罪抑止、信用スコアの運用とフィンテックとの結合といったことが進み、中国社会の利便性は格段に上がった。そのため中国国民が進んで個人情報を企業に明け渡し、結果的に中国共産党による社会統治が強化されている。ウイグル自治区における自由の剥奪が悪い例として上がる。「最大多数の最大幸福」を原理を盾に政府が暴走するときもある。少数民族への弾圧は激しく、強制収容所のような施設さえある。ただこの施設がある名目は治安のためだ。イノベーションに対する法の緩さは、人権保護に関する法の弱さの反面でもあると指摘している。
第五章から第七章では中国における公共性の議論が展開されている。テクノロジーで安心・安全で便利な社会である現状から世に溢れる中国の自発的な民主化や分裂を期待する論調が如何にナンセンスなものとなっているかを示している。つまり「アルゴリズム公共性の暴走」である。しかしこのような社会は一党独裁体制の中国だけではなくすべての国で起こる可能性があると指摘している。それは功利主義に基づいて道徳的判断が人間からAIに取って代わるのは避けられないからだ。具体的な理由としては1.一般大衆が利便性のためAIを用いたアルゴリズムによるセグメント化を進んで受け入れる素地は功利主義的社会(資本主義社会)が本質的に内在していること、2.テクノロジーの理解は一般大衆にとってますます困難になっていること、3.テクノロジーと公共性を両立させる議論にはまだ時間を要することの3つである。著者たちは常にテクノロジーが社会実装されたときの変化の方向性が正しいかを問い続ける姿勢を持つべきだとまとめている。
本書を読みテクノロジー社会において利便性と権利での葛藤をどのように処理していくかが今後の日本におけるテクノロジーの社会実装が進む道をめると感じた。テクノロジーの社会実装が極端に遅れている日本では中国社会のどの部分は手本にして、どの部分は真似をしないといった取捨選択が重要であると考えるようになった。

歴史では、近代化以前の信用の形から、近代化を経て、現代のフェーズへ移行しようとしていることがわかる。また海外の先進事例から日本とは状況が異なるとはいえ、その成功と失敗から日本における信用サービスのあり方(テクノロジーの社会実装)を考えていきたい。

「幸福な監視国家・中国」 梶谷懐・高口康太共著

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