書評『リーダーシップとは何か』ロナルド・A・ハイフェッツ

本書はリーダーシップとは何かについて、オーソリティー(権威、権限)との違いと関連性を交えて説明するものだ。

リーダーとは何なのか、単純に影響力という観点から定義すると、ナチスドイツのアドルフ・ヒットラーはリーダーとして紛れもない成功者だったということになる。彼は言葉で何百万の人を鼓舞して彼らの生活を組織化させ、彼の作った目標は従者の要求や人々の欲求を満たしていた。しかし、適応の仕事の基準に照らせばヒットラーはリーダーシップの行使に失敗したことになる。社会的にも経済的にもドイツ社会を劇的に動かしたが、それは基本的に困難な現実を回避する方向に動かしたのであった。幻想を振り撒き、内にスケープゴート、外に敵を作りながら国を大きな不幸に導いた。彼がリーダーシップを行使したというのは、やぶ医者が偽の治療を行うのと同じことに過ぎなかったのだ。

リーダーシップを適応の仕事として見ると、社会的に有益な結果を生み出すには、現実性のテストが極めて重要であることを示してくれる。現実性のテストを重視しないリーダーシップの考え方では、診断がどんなに欠陥だらけでもそのビジョンの実現に人々を駆り立ててしまうことになる。ヒットラーはモラル上と同時に診断上も間違いを犯したのだ。このように、リーダーシップとはただ影響力があるだけでは足らず、適応の仕事を行うことが重要であることが分かる。

次にオーソリティーについてである。著者はオーソリティーをサービス(貢献)を行うための権限と定義している。私たちは高いオーソリティーの立場に達した人をリーダーと呼んでいる。しかし、考えてみれば彼らがリーダーシップに欠けることが多いと私たちは簡単に認めることが多々ある。そこに違いがあることを直感的に感じとっているのだ。オーソリティーはリーダーにとって快適に仕事を進める上で資産となる。誰もが彼に一目置いているので、彼または彼女の意見を好意的に受けとるのだ。だが逆にオーソリティーがリーダーにとって足枷となることもある。それは適応の仕事を行う時によく起こる。例えば医者について考えてもらいたい。医者の仕事は、技術的な仕事と適応の仕事の違いについて分かりやすい例を示してくれる。技術的な仕事というのは、医者の専門知識を使う仕事だ。軽い風邪程度の患者なら技術的な仕事のみで事足りる。しかし、どうにもならないような病気の場合は適応の仕事が必要になる。末期ガンと診断されて完治の見込みがない患者に、ガンが主要な問題だと定義することはただの現実の否定であり無意味だろう。この場合ガンは1つの条件だ。限定的な治療しかできないのだから、問題の一部に過ぎない。患者にとっての本当の仕事は、自分の健康状態を越えて、厳しい現実を直視し、それに対して調整することである。そして、この調整に手を貸すことがことが医者の適応の仕事である。

人は何か厳しい状況にあるとき、一番手近な問題に全ての原因を見出だしたり、他者に責任を押し付けたりすることがある。その対象となりやすい者がオーソリティーを持っているものだ。彼なら解決策を持っているはずと期待をするのだ。それがリーダーシップの足枷となる。この足枷をなんとかして物事を解決させるには、責任を押し返して相手方に受け入れさせ、学ばせることだ。この適応への挑戦が妥協点を生み、事態の沈静化につながる。

リーダーシップとはそもそも何かについて学ぶために本書を読んだ。リーダーとは解決策を作り、他者に指示を出す者と漠然と考えていたのだがそれだけではないことを学べた。リーダーが一人で解決策を練らずに部下の意見に耳を傾けることの重要性は経営学の授業でよく聞くことなので知ってはいたのだが、責任を押し返して考えさせるというのは私には無い発想だったので感慨深かった。本書はリーダーシップとオーソリティーについて学ぶのに非常に役立つ物だった。ただ、本書はあくまで著者の経験則による分析であるため、もっと他の著作を読んだ上で参考の一助にしようと思う。

著者:ロナルド・A・ハイフェッツ

訳者:幸田 シャーミン

発行所:産能大学出版部

 

 

カテゴリー: 新聞要約   パーマリンク

コメントを残す