2章 狂牛病

食の安全性の信頼が欠如するきっかけとなったのは、狂牛病問題が始まりである。1986年にイギリスでは、狂牛病に感染した牛が確認された。イギリスの科学者は、原因が牛に与えている餌(肉骨粉という牛や羊の屑肉や骨)だと考えていた。特に、脳や脊髄・目の部分は感染する可能性が高い。それに伴い、狂牛病にかかった牛の処分と狂牛病の原因となった餌に規制を政府はおこなった。牛の処分は15年間でおよそ470万頭にものぼった。餌に対しては、1988年に反芻動物への反芻動物からの肉骨粉投与を禁止し1990年には、牛の特定危険部位(脳・脊髄・脾臓・大小腸など)を動物の栄養源として与えることを禁止。1994年には、哺乳動物からの肉骨粉を反芻動物に与えることを禁止した。反芻動物からとった肉骨粉を、同じ反芻動物に与えてはいけないという対応から哺乳動物からの肉骨粉も与えてはいけないと徐々に厳しくしている。こうした、対応の遅れがイギリス政府に出てしまった。

しかし、人への感染が1996年に認められた。1996年にイギリスで最初の患者が見つかった。この患者は狂牛病が感染した結果と思われる変異型のクロイツフェルト・ヤコブ病ーvCJDを発症した。このvCJDという病気は、発病するまでの潜伏期間が長い。vCJDに感染した患者の症状は最初は無気力になり、次第に体重は急激に痩せ、大きな痙攣がおきたり、関節の痛みなどが起こる。そして、身体を動かすことも話すことも排泄もできないし目も見えなくなり、そして、死にいたります。その上、治療法はありません。数年前にどこかで食べた牛で不治の病にかかってしまうかもしれないという衝撃的な事実がイギリスを襲います。当然ながら安全だと思って、人への感染が認められる1996年まで牛を食べていたので、患者数は96年に10人、2000年には最も多い29人にのぼります。そして、イギリスの対応の遅れから、フランス、アイルランドなどでも死者が出ます。

イギリスの失敗を経て、日本では1990年からイギリスからの牛の輸入を禁止している。また、狂牛病の発生した国は随時、輸入を禁止している。2001年1月には反芻動物からの肉骨粉をEUから全面的に輸入禁止している。2001年8月に千葉県で狂牛病の牛が発見されても、10月には、畜場で解体される牛の全頭検査を実施し、特定危険部位はすべて焼却するようにした。こうした、素早い対応により大きな事件には至っていない。しかし、狂牛病の牛が出回る可能性はあるので今後も厳しい対応が必要である。

イギリスでは対応に遅れてしまい悲惨な事態になってしまいますが、日本では素早い対応で大きな事件にはなっていません。こうしたことから、食の安全を守るには、国家レベルでの対策や国家間での取決めが私たちの日々の安全な食事につながっていくことがわかります。

 

 

参考文献 狂牛病 岩波新書 中村靖彦著 2001年発行

 

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