グラノヴェッターの暴動モデル

社会学者のマークグラノヴェッターは暴動の一歩手前の状態にある群衆のきわめて単純な数理モデルを用いてミクロ・マクロ問題に光を当てた。

例えば100人の学生が集まり政策について抗議していたとする。このとき群衆の一人一人が暴力的な本能と平和的な本能に板挟みにされている。どちらを選ぶのかは自分だけで決めるのではなく、ある程度人の行動を見てから決める。このある程度の度合いを「閾値」とおく。この場合の閾値とは、十分な人数が集まれば参加するが、それに満たないなら自制するという値だ。そして、グラノヴェッターは非常に単純な分布を仮定し、百人の閾値はみな異なっているとした。1人目の閾値は0人、2人目は1人、最後の人は99人と割り振った。この場合、最終的に全員暴動に参加することになる。

だが、ここで隣町でも全く同じ人数同じ理由で群衆が作られたとする。さらに群衆と閾値の分布もほぼ同じとする。このとき2つの群衆はよく似ているが、1人だけ閾値が3人の人がおらず、4人の人が2人いたとする。この条件だと、結局3人しか暴動を起こさない。

もしこの2つの町を観察している者がいたとして、結果を見比べてみたら人々や状況に何か違いがあると考えるはずだ。こっちの町の学生は気性が荒めだとか、町の防備が薄いからだと推測するだろう。常識はこうした種類の説明を提示する。だが、実際にはたった1人の閾値を除けば、人々にも状況にも何ひとつ違いなどない。2つの集団の特性に決定的な違いがないため、代表的個人モデルでは結果の違いを説明できない。結果の違いを理解するには個人間の相互作用を考慮しなければならなく、そのためには個人の決断が次々に連鎖していく流れを全てたどる必要が出てくる。このときミクロ・マクロ問題は顕在化する。

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