書評 瀬戸正則(2017)『戦略的経営理念論 人と組織を活かす理念の浸透プロセス』中央経済社

広島大学教授の瀬戸正則は、「企業組織はいかに運営されているのか、いかなる運営が組織を効率的に機能させ、社会にとって有益なものとなり得るのか」といった問題意識を起点に、経営の根幹をなすとされる「経営理念」の浸透研究を開始した。本書は、著者である瀬戸正則の広島大学博士学位論文を加筆修正の上、出版したものである。

第1章 実務・実践的課題からとらえる経営理念

1章では、筆者が今回の研究で、日本の中小企業とミドル層に着眼することが記されている。

本書の目的は、企業における経営活動上の根幹を表現し、経営成果を導くための内部統制や外部適応を図る際に重要な機能を果たすものとして経営理念に着目し、その浸透を図る必要性や有効性および具体的プロセスについて個別企業の事例をもとに論じることである。

対象とする企業は、非組織的な活動の集団的かつ自律的なコントロールが難しいといったミクロ的な視点から、経営組織としての限界が指摘される中小企業とする。

その中でも、組織内で垂直・水平的で網の目のようなコミュニケーションを積極的に促しながら、企業全体の士気向上を図るといった重要な役割が指摘されるミドルに着目する。

第2章 学説からとらえる経営理念

2章では、先行研究から経営理念の概念定義が確認されている。

学術的には一貫した定義づけが明確にされていない経営理念について、筆者は「創業者や経営の承継者の経営に係る思想・哲学をもとに、何のための経営であるかを表明したものであり、経営組織全成員で理解し共有すべき指針を明示した、動機づけおよびコミュニケーションのベース」と概念規定した。

経営理念のもつ潜在的な利点に言及した先行研究では、行動と決断を導く拠りどころとして組織成員を動機づけることが挙げられている。しかし、その浸透がいかなる条件下で、いかなるプロセスを経てなされるのかといった観点からの具体的な知見は得られていない。さらに、そのほとんどは大企業を対象として見いだされた内容である。全企業数の99.7%を占め、非組織的意思決定の役割が相対的に大きい中小企業を対象とした経営理念の研究は未だ多くない。以上から、中小企業の経営理念に着眼する意義が再確認できる。

第3章 経営理念の必要性と有効性

3章では、本書のリサーチ・クエスチョンが設定され、ミドル・アップダウンマネジメントに関する先行研究についてさらなる考察がされている。

3つのリサーチ・クエスチョンを設定する。1つ目は、「非組織的な意思決定や活動が指摘される中小企業において、経営理念の浸透を図ることの必要性や有効性は何か」。2つ目は、「中小企業の経営理念浸透プロセスにおいては、組織内の結節点に位置づけられながら、経営活動上の重要な役割を担う人材として先行研究が指摘するミドルに対し、いかなる機能の発揮が求められるのか」。3つ目は、「経営理念が浸透する様相はいかなるプロセスやフェーズで示されるのか」である。

これらを明らかにするため、ケーススタディを実施する。従来の先行研究では、産業革命に始まる製造業を対象とした内容が多いが、今後はサービス業を含めた研究が必要といった指摘がある。そこで、本書の研究対象の業種は、顧客との直接的な関係を保持しながら、無形かつ提供と消費の同時性が指摘される役務を提供する、サービス業とした。

野中・竹内(1996)が提唱する「ミドル・アップダウンマネジメント」とは、ミドルの果たす役割の重要性を明らかにした研究である。ミドル・マネージャーは、経営トップがもつビジョンとしての理想と、第一線従業員が直面することの多い錯綜した市場の現実や、彼らのもつ現場感覚との矛盾やズレを発展的に解消し、両者をつなぐ戦略的な結節点としての役割を担う存在として位置付けている。加えて、ミドルは、組織において経営トップや一般従業員を巻き込みながら、組織変革を遂行する中心的役割も担っていると主張している。この先行研究から、経営理念の浸透促進に関して、ミドルに着眼する意義が再確認できる。

第4章 経営理念の戦略的活用事例

4章では、調査対象と手法が記され、分析視座が記されている。

研究を進める方法として、個別経営にみられる一貫性に焦点を当てた研究に対し有効な方法と考えられる個別事例研究法(ケーススタディ)を用いる。具体的手法としては半構造化面接法を採用する。会社法の規定を援用し中小企業の概念定義を行い、面接調査対象は広島の地元企業2社となった。ベンチャー型の中小製造業である(株)パールスターと、冠婚葬祭業を営む同族経営A社である。

調査結果を分析するにあたり、3つの視座を構築する。1つ目は、非組織的経営活動が、経営理念の浸透プロセスにどのような影響を及ぼしているのか。2つ目は、経営理念浸透プロセスにおいて、どのようにミドルが一般従業員に対する理念浸透を働きかけているか。3つ目は、経営理念の浸透促進に向けた取り組みを評価し、次のステップへつなげていく相互作用のプロセスがいかに形成されているかである。

第5章 理念が戦略的に活きる経営の本質

5章では、2社の調査結果が報告されている。

最初に、経営理念に対する考え方として、A社トップは、「経営者が交代しても、会社運営の基軸や提供サービスの質も不変で、平然と経営がなされていることが、顧客の信頼を得て、企業価値の向上を図る大きな要因となる。経営理念はそのためのツールである。」と考え、創業以来の経営理念を徹底している。一方で、(株)パールスタートップは、「組織経営の本質は、経営トップ自身が学習し、自身の精神を成長させることにある」と考え、「トップの姿勢が経営理念」という共通言語を組織内外に伝播している企業である。

インタビュー調査を通して、経営トップの経営理念の捉え方として、「経営理念とは、経営者の人生観そのものを表現したものであり、企業業績悪化などの非常時に従業員の一体化をもたらし組織力を高める有効性があるもの」ということが明らかになった。経営理念の浸透を図る目的は好業績の確保ではなく、会社の非常時・緊急時における人心掌握にあるようだ。

前章で記した視座に基づいて調査結果を分析する。一点目は、同族者への経営権の継承といった非組織的活動が、組織成員の士気低下といった悪影響は見られず、経営トップの理念に依拠する高い倫理性に基づいた日々の姿勢が、組織成員に信頼性や安心感を知覚されながら強く支持されていた。二点目は、ミドルに求められる資質として、素直さに代表される人間性と、自立性が挙げられた。経営トップの考え方を自身へ内在化させ、一般従業員には言葉を変えてわかりやすく伝える社内コミュニケーションの促進を補完する役割が求められる。三点目は、経営理念の浸透を図る手法として、経営理念の具現化に向けた具体的行動目標をスローガンとして毎年設定することが挙げられる。しかし、組織成員の心にまで落とし込むには、人格を尊重しながらの対話を反復継続していく必要があるようだ。すべての企業に共通する経営理念の浸透に有効な直接的な制度はないが、企業それぞれの理念を基軸とした戦略経営に強くこだわっていく特長のあるビジネスモデルは、簡単な手段による他社の模倣が困難となることは明らかだ。

第6章 経営トップと中核人材が戦略的に導く理念経営

6章では、調査結果がアイデンティティの面から考察され、概念関係図を完成させた。

組織成員の個人的アイデンティティを尊重しながら、同一化を強制しないことが原点となり、経営トップの個人的アイデンティティが経営理念とほぼ同一化している時、経営理念の浸透プロセスが機能すれば、組織成員が知覚し受容するアイデンティティを活用した協働体制の構築にもつながるとして、組織成員のアイデンティティを活かした経営理念浸透プロセスについて、諸概念の関係性を示すモデル図を完成させた。

第7章 戦略的経営理念の構築に向けて

7章では、今回の研究が総括されている。

経営理念とは、とくに意思決定時における自らの判断のぶれに対し、その検証や是正を図る唯一の指針と捉えることが出来る。今回調査対象にしたサービス業においては、従業員と顧客がコミュニケーションをとるなかでお互いの感情が直接的に深く見えてしまう。マニュアルワークでは補いきれない、従業員と顧客の相互作用による不確実性に経営理念の浸透を図る有効性が見えてくる。

組織成員が、組織統合力の強化をもたらす個人や集団としての、アイデンティティの知覚や高揚感を自覚することが、組織内外との相互作用を通じてアイデンティティの知覚に至るプロセスの存在が明らかになった。

 

経営理念に関する研究は、各経営組織の特異性が強く、個別事例を見ていくしかない研究が多い特徴がある。全体を俯瞰し、経営理念の浸透に有効とされる確実な理論は見つかっていないのが現状だ。

本著において、経営理念を企業文化ではなく戦略として捉える点が興味深かった。営利組織として、経営理念や組織文化、福利厚生などは直接的な利益につながらないと敬遠されることもあるが、経営理念の浸透が「企業業績悪化などの非常時に従業員の一体化をもたらし組織力を高める有効性がある」との見解が新たな知見として得られた。

まだ経営理念のどのような側面に注目して研究したいかが明確ではないが、経営理念の浸透は各企業のユニークな施策に託されるとして、勤続年数と経営理念の関係など、採用の側面から経営理念を紐解いても面白いのではないかと感じた。

中央経済社

『戦略的経営理念論 人と組織を活かす理念の浸透プロセス』

2017年7月20日発行

著者 瀬戸正則

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