「クローン人間」 響堂 新 (新潮選書)

〜生命科学は想像を超えるスピードで発展を続けており、近い将来、我々の生活は大きく変貌する可能性を孕んでいる。急速に発展しつつある科学技術分野は生命科学に限らないが、他分野との違いは、我々の肉体や精神に変更を加える技術を含んでいることだ。それだけに倫理的なジレンマを引き起こすことも多く、応用の是非を巡る議論は他分野の技術とは比較にならないほど深刻なものになる。〜

1997年2月に、イギリスでクローン羊“ドリー”が誕生して以来、さまざまな動物の体細胞クローンが相次いで報告された。以前はSF小説の中で描かれていた夢物語のような出来事が急速に現実味を帯びてきたわけだ。しかし、その一方で、これらの技術革新は多くの人から危惧される世界的な問題として扱われることになった。

クローン技術が嫌悪の対象とされる主な理由は、この技術が以下のような倫理的な問題を孕むことに拠る。第1に、クローン人間をつくることは、すでに存在している誰かとまったく同じ遺伝情報をもった人間を生み出すということで、個人の独自性(アイデンティティー)を侵すことになり、人格の尊厳を侵害する行為だと考えられている。第2に、宗教的な問題も付随してくる。カトリックのように、「人工妊娠中絶はいかなる理由があろうとも“殺人”にほかならず、絶対に犯してはならない罪悪」と考える厳格な保守的宗派からすれば、クローン技術の発展は容認しがたい出来事だと推察できる。

しかしながら、クローン技術の発展・応用が人類にとってただならぬ恩恵を与える可能性を秘めていることを、まったく無視できる人はいないと思われる。体外受精などのクローン技術を用いた不妊治療の発展は、子供を欲しがる不妊夫婦からすれば朗報である。また、臓器移植の際にクローン技術を用いることができたら、自分と適合する移植ドナーを待ち続ける必要がなくなり、さらに移植後に拒絶反応を起こす心配もなくなる。近頃では、ES細胞を用いた遺伝子レベルの治療も現実的なものとなっている。

この本では、クローン技術の発展の歴史、現代でのクローン技術の応用、またそれらを取り巻く環境の変化について詳しく述べている。クローン羊ドリーの誕生直後に、主要国や国際機関はあわてて反対声明を出したが、その後の生命科学技術の飛躍的な進歩に大きな実利を見いだして法整備を行えないのが現状である。そして、脳死臓器移植、遺伝子治療、遺伝子組み換え食品など、すでに市民生活に入り込んでいる技術に対しての倫理的な問題点は何なのかを解説し、クローン人間誕生の可能性を考察していることが、この著書の大きな特色である。

急速な発展を遂げるクローン技術であるが、世界的な「クローン人間反対」の運動の一方で、クローン技術のもつ潜在的な可能性に目を向けるべきという意見が出てきている。

様々な哺乳類で体細胞クローンの誕生が報告され、クローン技術が科学的事実として認められはじめるにしたがって、生殖クローニング(Reproductive cloning)と治療用クローニング(Therapeutic cloning)を分けて考えるべきだとの意見が有力になってきた。

生殖クローニングとは、核移植によってつくったクローン胚を女性の子宮に移植して子供を誕生させる技術を指している。要するに、クローン人間をつくる技術のこと。

治療用クローニング(クローン治療)は、クローン技術を子供の誕生ではなく、病気の治療に応用しようというもので、再生医療の柱となることが期待されている。具体的には、クローン胚からES細胞(胚性幹細胞)をつくり、それを各種臓器に分化させて移植用臓器として使うことを目指す研究を意味する。

治療用クローニングが確立されれば、現在の医療技術は劇的に変革すると思われる。例えば臓器移植を考えてみた場合、内臓器官になんらかの障害を抱えていて臓器移植を待ち望む患者は多い中、移植用臓器は極めて限られていてほとんどの患者は移植を受けられないまま亡くなっているのが現状だ。しかし、治療用クローニングでは、患者自身の細胞から移植臓器をつくり出すので、臓器の発育にある程度の時間はかかるものの順番を待ち続ける必要がなくなる。また、自分自身の細胞からつくった臓器であれば、HLAが完全に適合しているので、免疫抑制剤を一生飲み続ける必要もなくなる。

治療用クローニングが現実のものとなれば、現状を劇的に変え得る革新的な技術となることは間違いない。

こうした展望を受けて、いち早く方針を転換したのがイギリスで、2001年1月に法律を改正して、ヒトのクローン胚の研究を解禁している。各国政府も技術開発競争に遅れを取らないために法整備を慎重に行っているところである。

日本では、2001年6月から「クローン規制法(ヒトに関するクローン技術等の規制に関する法律)」が施行され、クローン人間をつくろうと試みた者には、一千万円以下の罰金もしくは十年以下の懲役が科せられることになった。しかし、法律の大部分を占めているのは、さまざまな種類の胚の定義とその取り扱いであって、必ずしもクローン人間を禁止することが法律の趣旨ではない。

一部の特定胚を人間または動物の子宮に戻すことは法律で禁じているが、実験室内で特定胚をつくることについては禁止する条文はなく、別に定める指針に従うよう命じているだけである。

法律の条文で禁止する事項を極力狭い範囲にとどめたのは、特定胚の研究を臨機応変に進められるようにとの配慮からだと思われる。法律に明文化してしまうと、変更するのに国会の承認が必要になるが、指針なら状況に応じて素早く対応できるからだ。クローン技術は、将来大きな実用的価値が生じると期待されているので、研究を進める根拠を確保しておきたいとの思惑が、法律制定の根底にあるのだろう。

一見、有用性のみが語られそうな治療用クローニングだが、やはり否定的な声も存在している。それは、治療用クローニングにつかわれる“胚”が将来“胎児”になる存在だということである。胚と胎児は呼称こそ違うが、連続した存在であり、胎児のほうがより発生が進んだ段階にある。初期胚は、見た目はただの細胞の塊に過ぎないが、胎児は人間を想起させる姿をしている。そうした観点からすると、妊娠中絶を罪悪とみなすカトリックのような宗派にとっては、胚に手を加えることは許されない行為だろう。

また、治療としてクローン技術を用いた時に、権利の所存が不明瞭となることもある。例えば、不妊治療を挙げてみる。

体外受精、代理母出産などの技術は、子供を欲しがる不妊夫婦だけでなく、同性愛者やシングル女性にも子供を持つ権利を与えた。

イギリスの「人の受精と胚研究に関する法律」では、結婚および事実婚のカップルに加えて、同性愛のカップルやシングル女性も生殖医療にアクセスできると定めている。一方、フランスの「生命倫理法」は“子供をもつ権利”を万人が有する基本的人権とは認めていないし、また、ドイツでは正式に結婚しているカップルに限って不妊治療を認めている。

その際に、遺伝上の父母、産みの母といった一概に法律で決めがたい権利主張も起こってくる。生命科学技術によって生まれた子供の“出自を知る権利”なども加わってくる。

加速度的な発展を遂げる生命科学技術を考えるとき、新しい技術が生み出されるときに倫理的問題を孕んだ権利主張が付随することを前提としておかなければならない。そして、それらの権利は一概には定められないこと。それらのことが筆者が伝えたいことだと思います。

〜自己決定と自己責任という原則に基づいて社会が動いている現在、権利を制限する主張を貫くのは相当な困難を伴う。多くの人たちに、すでに手にしている権利の一部を放棄せよと要求しているに等しいからだ。だからといって、既存の権利関係にいっさい手を付けないままにして、新しい技術から派生する権利だけを制限しようとすると、必ずどこかに矛盾が生じる。

自ら権利を手放すのか。それとも、矛盾を容認するのか。私たちは難しい選択を迫られている。〜